歴史を感じる大塚古墳。
河内大塚山古墳(大塚陵墓参考地)の特徴
全国5位の前方後円墳として、歴史的価値が高い古墳です。
6世紀後半に築造されたとされ、被葬者に雄略天皇の噂があります。
整備された周囲の緑地で、のんびり散策やウォーキングが楽しめます。
只今 朝の6:00 実に清々しいです 周囲の建物の圧迫感がなく 周濠も広く視界も開けて 地に足を着けて 一目で全国5位の大きさを実感出来ました古墳の木々からはツクツクボウシの鳴き声が 微かに聞こえ 昭和のため池を思い出させ 何と無く懐かしさもあります古市古墳群のエリア外で世界文化遺産にはならなかったものの 雄略天皇の参考地 安閑天皇の未完成陵 欽明天皇陵等々 色々いわれており 築造時期も6世紀後半と唱える説が多いように思います中世 古墳を城として活用したものは結構多く この古墳も御多分に洩れず 南北朝時代の動乱を察して鎌倉時代末期頃に「丹下城」が築かれ 幾多の戦場 戦火のあった この地で戦国時代まで その姿があったものの 1580年 織田信長の破城の令により廃城となりましたその後 江戸時代初めまでには 城に取って代わり集落が形づくられ大正時代まで続いたといいます 古墳の後円部の頂きに天満宮(大塚社) 前方部東側には神宮寺でしょうか お寺もあったそうです 陸橋(渡り土堤)も築造当時から あったかは知りませんが おそらく集落の人々の利用していたものでしょうね🤔1925.9.21(大正14年)陵墓参考地と定められ退去を余儀無くされ 現在 宮内庁の管理となっています。
前方後円墳。でかい。全国第5位の大きさ。濠の周りは半周出来るが、残りは民家があって通れない。当然、宮内庁管理で中には入れない。
墳丘長335m。とにかくデカいです。実際、全国5位の大きさです。前方部の真ん中が少し尖っているような形で、これを剣菱型と呼びます。大きさはこんなにあるのに、高さはたった4.5m。考えられるのが、「造りかけ」という点です。段築がみられておらず前方部はフラットで、葺石や埴輪も見つかっていないからです。築造時期は6世紀中頃以後、ギリギリ古市古墳群に分類される古墳で、同古墳群では最後に造られた古墳といわれています。かつてはこの古墳の上に住宅が沢山建っていましたが宮内庁が陵墓参考地に治定したことによる立ち退き命令で入れなくなりました。
サイゼリヤの駐車場からパンをあげてるご夫婦がいて、見るとカモがいっぱい泳いでいました!御陵はたいへん立派で独特のオーラがあります。
鳥達と、それを観察する人達と楽しい時間を共有させていただきました。ありがとうございます。m(_ _)m陵墓はまるでそれが自然であるかの如く、神秘に満ち、気高く、愉しさに溢れておりました。ありがとうございます。
6世紀中期〜後半に築造されたとみられる、前方部を北に向ける全長335m、前方部幅230m、高さ4m(低い…)。後円部径185m、高さ20m 日本第五位の規模を誇る、前方後円墳です。雄略天皇、欽明天皇の真稜か?とも考えられ、古墳は宮内庁により管理されています。大きさの割に墳丘が低く、濠も浅い為、未完成古墳ではないか?との指摘もあるようです。中世には墳丘内に丹下城が築かれ、江戸時代には前方部に村が形成されていたようです(そりゃ前方部低いわね(苦笑))。確かに、前方部東側から僅かに見える墳丘内は平坦な感じに見受けられました。周濠周りは周回できますが、後円部はビューポイントがほぼありません。案内板は前方部(北西)角にあります。造り出し部はなさそうな感じがしました。
自宅近くのウォーキングコースです。一周約3キロで、ええ感じです。日本5番目クラスの大きさです。渡り鳥も飛来するので、癒されます。
全国で5番目の大きさとされる前方後円墳です。被葬者は不明ですが雄略天皇の真の御陵では無いか?とされています。鴨がいっぱい泳いでました。雄略天皇は日本各地に勢力を広げ、ヤマト王朝を大幅に拡大したとされて、ヤマトタケルのモデルでは無いかとされるワカタケル大王です。
一周約1.5kmあり、車も少なく、散歩、ウォーキング、ジョギングに最適。冬にはシベリア辺りから(?)鴨が越冬に沢山来て、その鴨を目当てに多くのカメラマンも…
名前 |
河内大塚山古墳(大塚陵墓参考地) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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静かで人もいない古墳。近くにいるだけで亀が5匹くらい寄ってきました。水質汚染にサギ。周りの人たちは普通に生活していて、この風景が日常なんだなと感じました。