静寂に包まれた前方後円墳、雄略天皇の歴史探訪!
河内大塚山古墳(大塚陵墓参考地)の特徴
全国5位の前方後円墳として、歴史的価値が高い古墳です。
6世紀後半に築造されたとされ、被葬者に雄略天皇の噂があります。
整備された周囲の緑地で、のんびり散策やウォーキングが楽しめます。
12月13日、訪問しました。古墳の手付かず感、良いですね‼️野鳥もいっぱい、います。古墳の西側、北側、を散策しました。ヒドリガモ、ホシハジロ、マガモ、キンクロハジロ、ミコアイサ、カワセミ、オシドリを見ました。他の古墳よりもカモ類が多いと思います。この先も必要以上に手を加えずにこのままを維持して欲しいです。
静かで人もいない古墳。近くにいるだけで亀が5匹くらい寄ってきました。水質汚染にサギ。周りの人たちは普通に生活していて、この風景が日常なんだなと感じました。
只今 朝の6:00 実に清々しいです 周囲の建物の圧迫感がなく 周濠も広く視界も開けて 地に足を着けて 一目で全国5位の大きさを実感出来ました古墳の木々からはツクツクボウシの鳴き声が 微かに聞こえ 昭和のため池を思い出させ 何と無く懐かしさもあります古市古墳群のエリア外で世界文化遺産にはならなかったものの 雄略天皇の参考地 安閑天皇の未完成陵 欽明天皇陵等々 色々いわれており 築造時期も6世紀後半と唱える説が多いように思います中世 古墳を城として活用したものは結構多く この古墳も御多分に洩れず 南北朝時代の動乱を察して鎌倉時代末期頃に「丹下城」が築かれ 幾多の戦場 戦火のあった この地で戦国時代まで その姿があったものの 1580年 織田信長の破城の令により廃城となりましたその後 江戸時代初めまでには 城に取って代わり集落が形づくられ大正時代まで続いたといいます 古墳の後円部の頂きに天満宮(大塚社) 前方部東側には神宮寺でしょうか お寺もあったそうです 陸橋(渡り土堤)も築造当時から あったかは知りませんが おそらく集落の人々の利用していたものでしょうね🤔1925.9.21(大正14年)陵墓参考地と定められ退去を余儀無くされ 現在 宮内庁の管理となっています。
前方後円墳。でかい。全国第5位の大きさ。濠の周りは半周出来るが、残りは民家があって通れない。当然、宮内庁管理で中には入れない。
前方後円墳。でかい。全国第5位の大きさ。濠の周りは半周出来るが、残りは民家があって通れない。当然、宮内庁管理で中には入れない。
墳丘長335m。とにかくデカいです。実際、全国5位の大きさです。前方部の真ん中が少し尖っているような形で、これを剣菱型と呼びます。大きさはこんなにあるのに、高さはたった4.5m。考えられるのが、「造りかけ」という点です。段築がみられておらず前方部はフラットで、葺石や埴輪も見つかっていないからです。築造時期は6世紀中頃以後、ギリギリ古市古墳群に分類される古墳で、同古墳群では最後に造られた古墳といわれています。かつてはこの古墳の上に住宅が沢山建っていましたが宮内庁が陵墓参考地に治定したことによる立ち退き命令で入れなくなりました。
サイゼリヤの駐車場からパンをあげてるご夫婦がいて、見るとカモがいっぱい泳いでいました!御陵はたいへん立派で独特のオーラがあります。
墳丘長335m。とにかくデカいです。実際、全国5位の大きさです。前方部の真ん中が少し尖っているような形で、これを剣菱型と呼びます。大きさはこんなにあるのに、高さはたった4.5m。考えられるのが、「造りかけ」という点です。段築がみられておらず前方部はフラットで、葺石や埴輪も見つかっていないからです。築造時期は6世紀中頃以後、ギリギリ古市古墳群に分類される古墳で、同古墳群では最後に造られた古墳といわれています。かつてはこの古墳の上に住宅が沢山建っていましたが宮内庁が陵墓参考地に治定したことによる立ち退き命令で入れなくなりました。
鳥達と、それを観察する人達と楽しい時間を共有させていただきました。ありがとうございます。m(_ _)m陵墓はまるでそれが自然であるかの如く、神秘に満ち、気高く、愉しさに溢れておりました。ありがとうございます。
| 名前 |
河内大塚山古墳(大塚陵墓参考地) |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
https://www.pref.osaka.lg.jp/o180150/bunkazaihogo/maibun/oldpicture_kawachiot.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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大塚陵墓参考地として、宮内庁が管理してるので立ち入り禁止です。全国で5番目に大きい巨大前方後円墳です。被葬者は不明ですが、やはり雄略天皇が有力候補になるのではないでしょうか?墳丘の高さが無い所が多い事から、未完成の古墳で被葬者が居ないのでは?と言う意見もあるんですけど、工事を投げ出したとしても、少なくとも全国5番目に大きい巨大古墳を作れ!と誰かしら命令したからこそ、これだけの巨大古墳を作ってる訳ですよ。この古墳の製造時期5世紀末に、この巨大古墳を作れ!と命令出来た人物はもう、雄略天皇しか居ないんじゃないでしょうか?墳丘が低い事については、中世に丹下氏がこの古墳を丹下城として利用した事、明治時代まで民間の住民が住んでいた事から、人が住み易いよう平坦化した可能性があります。更に、古墳後円部に、ゴボ石と言う名の巨石が露出しており、これが横穴式石室の存在を示唆する可能性もあるとの事。単に未完成古墳では、片付けられない全国5番目の巨大前方後円墳なのです。