戦争の歴史を語り継ぐ慰霊碑。
B29搭乗兵慰霊碑の特徴
綺麗に管理された慰霊碑で、訪れる人の心に響く場所です。
5月5日に行われる慰霊祭で、兵士への哀悼の意を示せます。
敵兵を祀る碑が維持されており、歴史を感じる神聖な空間です。
そんな事があったんだ。アメリカ兵を助けた、村人。
敵兵を祀る碑このようなものが維持されているのを見ると日本が好きになりますね。
少しわかりにくい場所にあります。ただ、石碑がたてられており、厳かな雰囲気はあります。公衆トイレもあり、某国会議員の訪問した記念の看板もありました。近くに特に見るものもありませんので、時間に余裕がある時に訪れたら良いと思います。
大東亜戦争でお亡くなりになられた兵士の御霊に哀悼の意を捧げました。
慰霊碑とは知らずにここで休憩していました。周りは静かで車も殆んど通らず、横に小さな神社があり『村の鎮守さん』と言う感じで凄く良い雰囲気でしたよ。
戦争で亡くなられた方々、全てに慰霊の念のを…(u003e人u003c)
サイパンに帰る途中かな?
轟音 B29墜落の記語り継ごう日高の空襲和歌山県教育史研究 第三号和歌山県の空襲この辺の書籍を調べれば、もう少し詳しい状況が分かるかもしれません。いまはネットで調べた情報でご容赦。POW(Prisoner of War=戦争捕虜)研究会等のHPを参照B29Superfortress(機体番号44−69899、第73航空団497爆撃群所属)作戦任務第146号により出撃した170機中の1機。攻撃目標は呉にある第11海軍航空廠。(現在の王子マテリア呉工場)途中、高射砲の砲撃によりエンジンに被弾。任務続行できないので臨時目標へ進路変更しかし被弾による損傷が激しく、大阪上空で爆弾を投棄。そのまま帰投するはずが紫電改(N1K2-Ja)の追撃を受け、ついに龍神村上空で空中分解。機体は3つに分かれて墜落。1945年5月5日午前10時過ぎのことである。搭乗員11人のうち7人が死亡。パラシュートにより脱出できたのは、Joe S.McSPADDEN少尉Logan M.SPARKS二等軍曹Harry J.FOLEY少尉Earle P.FLANAGAN二等軍曹全員捕虜として大阪の中部憲兵隊司令部へ移送。供養塔ですが、本来はべつの場所にあったようです。殿原小学校付近でしょうか?あの裏の川に機体が落ちたそうですし。昭和28年(1953年)にあった水害で供養塔が流されかけたので、現在の場所に移設したそうです。また供養塔近くにある謎の木製の札『 クロークさんのさくら 』とは、B29のレーダー手をしていたトーマス・クローク少尉の妹エリザベス・クロークさんの寄付金で植えられた桜の苗木のことだそうです。つぎは桜の咲くころに訪れたいですね。
国道に面していないの(ちょっと奥まった所にあります)で、ちょっと場所が分かりにくい! 私が行った時にはバラの花がお供えされていました。
名前 |
B29搭乗兵慰霊碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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綺麗に管理されてました 当時敵国の飛行機が墜落し・・・・・人それぞれ、色々と感じ方はあると思ひ〼 平和な時代であって欲しいです。