歴史を彩る荒戸城の紅葉散策。
荒戸城跡の特徴
荒戸城は789mの高地に位置する山城で、眺望が素晴らしいです。
三国街道を見下ろす位置に築かれ、歴史を感じることができます。
技巧的な土塁や虎口が明瞭に残る、歴史的価値の高い遺構です。
荒戸城は南魚沼郡湯沢町神立に位置する堅固な山城です。新潟県指定史跡になってます。本丸跡は南北と東西30メートル、高さが2メートルの土塁に囲まれてます。二の丸と三の丸入口には桝形、土塁、空堀が構築されてます。天正6年(1578)3月13日に上杉謙信が亡くなると謙信の二人の養子ある上杉景勝と上杉三郎景虎の家督争いである「御館の乱」がおきました。荒戸城は同年6月27日に景勝家臣の深沢利重によって築城されました。同年8月、三郎景虎の実家である小田原北条氏が荒戸城を攻略。しかし、天正7年(1579)3月に上杉景勝の軍勢が北条氏の軍勢から荒戸城を奪還しました。その後、天正9年(1581)2月3日、上杉景勝は家臣の樋口与三右衛門兼重、富里三郎左衛門らを荒戸城代に任命しました。樋口与三右衛門兼重は樋口兼豊(直江兼続の実父)と従兄弟同士でした。
登城口まで車道が通っておりそこから10分ほど坂道を登ると城域に着く城域は広くなく30分もあれば全て見て回れる角馬出に本丸の虎口や土塁といった技巧的な遺構が明瞭に残されている。
紅葉を楽しみつつ、わんこと歩きました。11月3日、祝日、1人の方とすれ違いましたが、混んでませんでした。登口に無料の駐車場があり、数台停めれます。説明の案内もありました。山城ですが、木の枝や下草など伸び放題にはされてなくお手入れしてくださってるようで、登りやすかったです。お城については他の方が詳しく書いてます!
標高789m、新潟県指定史跡。5月の登城口は残雪があったキレイに整備された登城道を登ると堀跡がドーンと見える♪(^o^ゞ土塁に竪堀と複雑な坂虎口♪三ノ丸、二ノ丸、本丸と説明標柱が建っててちょうどいい位の案内♪堀切から横堀から井戸跡などなど数々の土の芸術はモチのロン、眺めもよくって時間を忘れる至福のときでございました♪ヽ(*´▽)ノ♪
戦国時代、上杉謙信の没後、謙信の甥である景勝と、小田原北条氏から養子に入っていた景虎との間で戦われた「御舘の乱」の際に、景勝方が、景虎方を支援する北条軍を芝原峠で阻止する目的で築いたといわれる山城。北条軍に落とされるが、北条軍はこのあとの樺野沢城や坂戸城の攻略に手間取り、支援の目的を達する事ができないうちに景虎は敗死する。小規模ながら技巧的で凝縮された縄張りは一見の価値あり。
| 名前 |
荒戸城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP |
https://www.town.yuzawa.lg.jp/kurashinojoho/kyoiku_bunka_sports/4/2/2682.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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荒戸城は関東(上野)と越後を結ぶ三国街道を見下ろす標高789mの山上に築かれている。登城口からの比高は50m程度で10分かからず到達できる。荒戸城は越後と上野の境目の城である。荒戸城も規模こそ小さいが素晴らしい土の城でよく整備されている。本丸を含め郭は四つしかないが、ふたつの馬出、規模の大きな竪堀、横堀、鋭い切岸と非常に技巧的である。足を伸ばす価値は充分にある。荒戸城は上杉景勝と景虎が謙信の後継者の座をを争った御館の乱の時に上杉景勝方が築いた城である。対立する景虎が北条一族であったため、景虎の援軍に北条軍が関東から北上するのを防ぐことが目的であった。荒戸城は結局は北条軍によって落城に追い込まれるが、御館の乱自体は景勝方の勝利となり荒戸城も景勝方によって奪還された。