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「文久三年 下ル」。旧・会津西街道に存在した高原新田宿は、幕末の文久3年(1863)、現在の川治温泉周辺に新しく開削された栃久保新道の誕生に伴い、人の往来が途絶えることになった。宿駅として駄賃稼ぎで生計を立てていた村民は、仕方なく山を下り、新しく道ができた川治に集団で移転した。この磁石石には200有余年を過ごした高原新田宿を離れる住民の愛惜が刻まれているとされ、非常にドラマチックではあるが、現在の定説ではこの「文久~」は後年になって彫られたらしいとされている。直径約2m、高さ1m。鶏頂開拓の住民の方に聞いても場所をご存じの方はいない。旧高原新田宿から西に進むと突き当りに鹿よけのフェンスがある。これを通ると目の前に広々とした下り坂が見え、どこでも下っていけるように見えるが、これは下ってはならない。そのまま右を向き、フェンス沿い(フェンスの向こう側には電柱が通っている)に右手に進むと、100mもいかないところに高原磁石石がある。