坂東三十三観音、日輪寺で凛とした佇まいを。
八溝山 日輪寺の特徴
坂東三十三観音第21番の霊場で特別な体験ができる場所です。
天台宗の本尊・十一面観世音菩薩が迎えてくれます。
アクセスが難しい分、静かで凛とした雰囲気が味わえます。
八溝山の頂上付近に鎮座しています。坂東三十三観音霊場21番札所として参詣させて頂きました。昔から「八溝知らずの偽坂東」と言われて、参拝が大変なお寺として知られています。自家用車で行くことは出来ますが、道がとても狭く注意が必要です。境内前には広い駐車場があります。唐松林の中にポツンとある印象でしたが、役ノ行者が開基し、空海が中興したとされる寺院で、修験の古刹です。本堂にて十一面観世音菩薩様をお参りさせて頂き、ご住職様に御朱印を直書き浄書頂き、帰りの道順など御丁寧に案内頂きました。ありがとうございました。
先日、日輪寺をお参りしてきました。天気も良く境内内は色鮮やかな、参拝客も他県から来てましたね。県道から鳥居をくぐって来ますと途中道幅が狭いところが多くあります。すれ違いには気をつけてください。
坂東33観音巡りで訪れました。那須の辺りから入っていくと、行き違いできない山道が続きますので、大子町の方から上がっていく方がまだ楽だと思います。お寺は大変立派です。
坂東三十三観音巡拝の最難関、日輪寺参拝しました。八溝山頂に程近く、福島、栃木との県境対向車が来たらすれ違いが出来ないのではと、ハラハラしながら運転、ようやく到着しました。本堂の中まで入ってお参りでき、観音様も近くで拝見出来ました。年配のご住職が納経帳に丁寧に御朱印を書き入れて頂きました。ありがとうございました。
坂東三十三観音第21番です。御朱印は本堂でいただけました。人気がない様に思えましたが、住職お一人だった様で大声で呼んだら出てきてくださいました。ポツンと一軒家か!みたいな人里離れて道も険しく、霧も深く出て凄いところでした。猛暑で下界は暑い日でしたが、ここは寒い(背筋が)くらいでした。笑いろいろとお寺巡りしているので名前を失念することも多いですが、「日輪寺」忘れないと思います。笑グーグルナビで辿り着きますが、帰り道をセットしようとすると当然圏外です!💦こんな時こそカーナビ!と思いきやGPS拾わず!笑行き帰りの道は予め予習しておきたいですね!笑少し山を下りたらスマホ生き返りました。笑駐車場は広めで無料でした。
坂東三十三観音霊場巡礼参拝しました。道中かなりの細い山道で対向車が来たらどうしようと心配でした。平日午前中だったので他の参拝者は1名でした。
宗派 天台宗本尊 十一面観世音菩薩開基 役ノ行者創立 天武天皇の朝(673)詠歌:迷ふ身が 今は八溝へ 詣りきて 仏のひかり 山もかがやくアクセスが悪く参拝する方が少なめなので静かで凛とした佇まいが逆に新鮮で良い雰囲気です🥳🆗
坂東三十三観音霊場巡礼にて参拝しました。道中かなりの細い山道でしばらく慎重な運転が求められます。早朝でしたので上の八溝山展望台に寄ってからお寺へ。駐車場は広く境内はこぢんまりとした山寺の雰囲気で、観音様や弁天様がいらっしゃいました。観音堂は朱色の屋根に白の壁で比較的新しい感じです。過去の山火事や不審火で伽藍は焼失したそうです。観音堂の前でお唱えをさせて頂くと堂内からお声が掛かりまして、堂内左手の納経所に既にご住職がいらっしゃいました。「八溝知らずの偽坂東」などのお話しを頂き、御本尊さまと弁財天さまの御朱印を拝受しました。
八溝山 日輪寺に来ました。紅葉が綺麗です。八溝山は何度も自転車で登っていますが、日輪寺に来るのは初めてです。日輪寺は、茨城県久慈郡大子町の八溝山の中腹、八合目付近にある天台宗の寺院です。山号は八溝山。本尊は十一面観世音菩薩であり、坂東三十三観音第21番札所です。茨城県最高峰である八溝山の八合目付近に位置することから坂東三十三観音巡礼における最大の難所と言われ、山頂へと至る林道が整備されるまでは、日輪寺まで登ることの難しい巡礼者は麓からの遥拝という形をとることもあったということです。
| 名前 |
八溝山 日輪寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0295-77-0552 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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残雪の中、蛇穴から目指す坂東三十三観音巡礼の最大の難所、日輪寺。冬は麓の大子で御朱印を頂くので、しかとお詣りする。気持ち的にこれより最終行の第二十一番。寒風の展望台までは更に急坂を10分程度。遠く福島、日立、冷えたおにぎり、叫びを吸収してしまう膝下までの雪。八溝知らずの偽坂東、坂東の八溝知らず、これらがもはや心地よく聞こえる厳冬下の踏破から来る明日への自信。鎌倉時代、年に一度は鎌倉で会する住職たちは、それぞれの帰路につき、同輩が途中で分かれて帰任していく中、最後に辿り着く八溝山日輪寺のご住職は、寂しかったろうか、それとも邂逅の良い思い出に活力に満ちていたろうか。