谷中の石碑に思いを馳せて。
スポンサードリンク
苔むした墓標がひっそりと立つ小さな丘の上に佇むと、祖先が眠るふるさとの地を断腸の思いで離れて行った谷中の人びとの無念さが、時代を超えて伝わってくる。
名前 |
延命院共同墓地 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
スポンサードリンク
周辺のオススメ

スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
旧谷中村にあった石碑の多くは藤岡町(栃木市)にある合同慰霊碑内に集約されていますが、旧住民の要望によりわずかですが墓石も残されています。他にも大変大きく異様な雰囲気を醸し出しているコナラ?の大木の下には大きな馬頭尊や石仏、少し離れて庚申塔や十九夜様が祀られていました。この地は度重なる洪水にも見舞われましたが、それがもたらした肥沃な土地が作物を育て、川や沼地でたくさんの魚もとれる豊かな村であったそう。渡良瀬川を経由して運ばれた足尾銅山の鉱毒により汚染地帯となったあと国策により廃村、村の大部分は遊水地の下に沈みました。その結果、馴染みの人々は県内はもとより、遠くは北海道の開拓地まで散り散りになってしまいました。廃村から間もなく120年目を迎える今でも当時の平和な日常がうかがえる貴重な場所です。