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昔、北宇智村役場があった場所。◯この地域、近内は緩やかな台地で東川、北川、南川、西川によって擁護され、自然災害が少なく古代から栄えた村の中心地でした〜古代から宇智の大野と呼ばれ、重坂(へいさか)峠、風ノ森峠を経て明日香、奈良の都と荒坂峠から五條へ街道が繋がっていました。◯万葉集〜たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野◯写真は昭和27年(1952)発行の北宇智村誌の地図です。◯注意、河川の名が変遷しています。・東川(〜出屋敷〜小山〜居伝〜住川)⇨北川・中川(小和)〜北川(近内〜居伝〜住川)⇨南川(小和〜近内)〜宇智川(近内〜住川)・木(こ)の川(久留野)〜南川(近内〜)⇨南太田川⇨宇智川・西川(西の谷川、西久留野〜西河内〜)⇨関谷川⇛⇛⇛これらの変遷は北宇智村から五條市へ行政が広域化するに伴って生じたのでしょうか、例えば西川は北山〜岡〜五條にもあり混同を避けるためとか(五條市発足1957年、昭和32年)◯北宇智村誌から〜恵まれたる自然巍峨として髙く聳え芳名長へに輝ける金剛山を北に仰ぎ、東は葛城村、西は牧野村、南の方宇智村と接する地、(九.七平方粁)これ実に我等が郷土「北宇智」である。向山丘陵によって大小の両分野を形づくり、東は迫の内(住川)、西は西川の内(西河内)で、近つ内(近内)は北の小和に延び更に居伝、出屋敷、小山に廣がり、下って住川につゞいて居る。そして久留野(東久留野)、西久留野は別に一環域をつくっている。(注、近つ内は明日香の京に近い宇智から付いた地名と云われています)此間に東川、北川、木ノ川(南川)、西川(西の谷川)等相並んて南下、灌漑の便を与へ、約四千五百石の米を産し、二千七百人活動の血と肉とになっているのみならず、尚多少の移出を爲している。