心静まる崇道神社の杉。
崇道神社の特徴
崇道神社は早良親王を祀る神社で、歴史ある場所です。
葛城山へ向かう途中にあり、立派な杉に囲まれています。
心を鎮めることができる、静かな雰囲気の社です。
「葛城(葛木)の道/万葉の道」巻十四の三の七 御所市大字櫛羅字角田崇道神社(すどうじんじゃ)近鉄「御所」駅より葛城山の方面に向かって歩みを進めていると、辻の奥に立派な杉が数本盛られたこじんまりとした社が右手に見えます。それが崇道神社で、早良親王が祀られております。境内は、薮のような細々した低木類はほとんどなく採光に優れ、非常に明るい感じの社に設えられております。御所からまだ始まったばかりのウォーキングでしょうから、ここでゆっくり休憩ということもないでしょうが、少し足を止めて風の音や鳥の声を暫しお楽しみ頂いたらと思います。ここからは、鴨山口神社や六地蔵方面、駒形大重神社や九品寺方面になります。
注意しないと見逃してしまいそうですが、心が鎮まる場所です。
祭神 崇道天皇(早良親王)由来 平城天皇の大同元年(806年)の創建と伝わる。紀寺天王とも呼ばれ、かつては璉珹寺(紀寺)の鎮守として祀られた。 早良親王は、父、光仁天皇(四十九代)と母、高野新笠との間に生まれ、兄は桓武天皇(五十代)である。兄、桓武天皇の即位と同時に皇太子となった。延暦4年(785年)、造長岡宮使・藤原種継暗殺事件に連座して廃され、乙訓寺に幽閉された。無実を訴えるため絶食し、淡路国に配流される途中に河内国高瀬橋付近(大阪府守口市の高瀬神社付近)で憤死。そのころ、皇室に種々不幸が起り悪疫も流行したが、みな早良親王の祟りとして恐れられ、800年即位はしていないが崇道天皇と追称された。
名前 |
崇道神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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早良(さわら)親王をお祀りしてます。桓武天皇の弟で、政権争いの犠牲になってしまいました。各地の御霊神社も早良親王がお祀りされてます。