巴御前の墓で歴史を感じる。
伝 巴御前の墓の特徴
巴御前の墓は平安時代末期の貴重な史跡です。
木曽義仲の側室としての歴史が感じられます。
武芸に優れた女武者の名残が残る場所です。
❶【参考 広神村の文化財 1960年】巴御前は平安時代末期の木曽義仲の愛妾で、武芸に優れた女武者として有名である。木曽義仲が討たれた後の説が多々ある。この場所の説は「木曽義仲と別れてからの独身説」である。・「独身説」 巴は富山から糸魚川に落ちのび、晩年には高田の菩提ヶ原に草庵をむすび、生涯義仲の冥福を祈って長壽を保ち、この場所に墓を造ったという。墓の跡に3丁字稲荷が祀られて、今も残っている、とある。・再婚説 和田義盛と再婚し、義盛没後信濃の故山にかえり、90余歳生きた、とある。・平家物語の木曽最後の章では「東国方へ落ちぞ行く」とある。・異説長門本(ながとぼん)には「越後国_友椙という所に落ちて尼になった」とある。
| 名前 |
伝 巴御前の墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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木曽義仲の側室兼女武者として有名な巴御前の墓です。元暦元年(1184年)に義仲が近江で討ち死にした後、尼になって高田に移り住んだという言い伝えによるもののようです。住宅地の中の小さな児童公園内にあり道も狭いので、高田城址公園から徒歩で往復しました。