円福寺境内の神秘的な石塔群。
新田氏累代の墓の特徴
太田市円福寺境内に位置する新田氏累代の墓は歴史的価値が高い。
石塔群が立ち並ぶ光景は、まるでタイムスリップしたかのような感覚を与える。
旅行の最大の目標達成にふさわしい、貴重な文化財が魅力的である。
目を閉じてタイムスリップ。
よどんだような静けさに包まれ、背筋がちょっぴりゾクゾクするような雰囲気の中に、様々な形の墓がズラリと並んでいると、見ごたえもなかなかのもの…。表面の彫りが分かるのは一二しかないが、いずれにしても古くささをプンプン匂わせながら、何かを一斉に語りかけて来るような雰囲気がある…。
案内板があります。伝新田氏累代の墓(略)新田本宗家4代の新田政義が開基したと伝えられる。(略)政義は寛元2年(1244)大番役(朝廷警護)のため在京中、所労と称し、六波羅探題や、上司である上野国守護安達泰盛の許可を得ず仁和寺に入り出家した。このため幕府よりとがめを受け、所領の一部を没収され失脚し帰国、由良郷別所に蟄居した。円福寺はこの時に開基されたものと考えられている。(略)伝新田氏累代の墓は茶臼山古墳前方部東側にあり、多層塔・五輪塔・板碑の台石20基ほどがある。(略)この中の一基の五輪塔地輪部に、新田義貞の祖父新田基氏法名とされる「沙弥道義」の銘文がある。(略)墓が営まれた年代は骨蔵器・板碑・五輪塔群の様式化から推定すると、鎌倉時代中期~南北朝時代(13世紀中頃~14世紀中頃)と考えられる。平成3年(1991)2月28日太田市教育委員会(略)
太田市の円福寺境内にある新田氏累代の墓と伝わる石塔群。20基余りの凝灰岩製の石層塔・五輪塔群があり、そのうちの1基には、元亨4年(1324年)に新田義貞の祖父が72歳で逝去したと記されています。
| 名前 |
新田氏累代の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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今回の旅行の最大の目標達成だった野ですが続く、詳しくは↓