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名前 |
佐藤家住宅主屋 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
佐藤家住宅主屋は、金沢市十一屋町にひっそりと佇む、いわゆる近代和風住宅の代表的な建物だ。1937年(昭和12年)に料亭として建てられたもので、戦後まもない1952年頃に曳家(ひきや)という伝統工法で現在の位置に移され、その後住宅へと用途変更された。この主屋はその価値が認められ、2004年(平成16年)に国の登録有形文化財として指定されている。金沢といえば城下町として知られるが、実は古くから料亭や茶屋といった文化が町のあちこちに根付いている。佐藤家住宅主屋が建つ十一屋町という名も、江戸時代初期に十一軒の茶屋が並んだことから来ているという伝承が残る土地だ。そのような背景の中で建てられたこの建物は、最初は料亭として、地域の上質な社交場として機能していたという歴史がある。佐藤家住宅主屋の魅力は、建物そのものの美しさにある。瓦葺きの木造2階建てで、面積は約107平方メートル。一見すると簡素に感じるかもしれないが、細かな部分まで見ていくと、そのこだわりに驚かされる。特に2階部分の設計が秀逸だ。建物の周囲をぐるりと囲むように縁側と小庇(こびさし)が取り付けられており、近代和風建築特有の通風性や採光性をしっかりと確保しつつ、外観には重厚で落ち着いた印象を与えている。内部の設計にも、当初料亭として建てられた名残がある。1階と2階それぞれに設けられた座敷は、書院造のスタイルで、床の間や飾り棚など格式ある和室の要素をすべて備えている。座敷を仕切る欄間(らんま)には白鳥の彫刻があしらわれ、これが単なる住宅という枠を超えた上品さを漂わせている。戦前期の職人たちの技術力の高さを伺わせる見事な意匠だ。この住宅が特に興味深いのは、その移築にまつわるエピソードである。昭和20年代、戦後の混乱がまだ残る中、この建物を解体せず、伝統的な曳家工法で移築したことには、並々ならぬ情熱を感じる。当時、全国的にも物資が不足していた時代に、敢えて手間と費用をかけてまで建物を移した背景には、この建物への強いこだわりや愛着があったのだろう。金沢市内では同時代に若草教会礼拝堂(1891年築)が1955年に移築されており、佐藤家住宅主屋もまた、この戦後の建築保存運動の流れに属する貴重な例と言える。また、佐藤家住宅主屋は単体としての建築物の価値だけでなく、金沢の町屋建築の歴史的な広がりの中に位置づけられる。市内では、渋江家住宅や谷庄古美術店主屋などと同じく、昭和期の町屋建築群の代表的存在として評価されており、これらと同時期に文化財登録された。著名な茶屋街や武家屋敷だけが金沢の歴史建築ではないことを物語る存在ともなっているのだ。周辺環境との調和もまた魅力のひとつだ。近くには長坂用水の支流が流れ、かつては陸軍練兵場があったと伝えられる歴史のあるエリアである。近隣には前述の若草教会礼拝堂など歴史的建築が点在し、街歩きを楽しむ上で非常に興味深い地区だ。観光エリアとは一線を画した落ち着いた佇まいの中で、佐藤家住宅主屋は静かに歴史を語り続けている。佐藤家住宅主屋を訪れたならば、決して派手さや華やかさを求めるのではなく、建築そのものが語る歴史の深さを静かに味わうことを勧めたい。特別に目立つ建物ではないが、戦前から現代まで続く金沢の歴史をひっそりと背負い、静かに存在感を放っている。保存状態も良好で、今も地域の歴史を次の世代へと伝える貴重な存在だ。日常の景色に溶け込むように建つ佐藤家住宅主屋だが、その姿からは戦前の華やかな時代、戦後の苦難、そして現代に至るまでの時代の流れを感じることができるだろう。金沢を訪れた際には、少し足を伸ばして、その存在感を静かに味わってほしい。そこには町の知られざる一面が見えてくるはずだ。