隼人塚で考えを巡らせて。
隼人塚古墳(雄略天皇陵陪塚い号)の特徴
住宅街に囲まれた隼人塚古墳で歴史を感じてください。
雄略天皇陵陪塚い号の静寂な雰囲気を楽しむ散策ができます。
新興住宅地の中に隠れた史跡で、特別な体験をお楽しみいただけます。
360度びっしり住宅に囲まれており、宮内庁の方が入る用の通路から見れるはずなんですがそれがどこか全く分かりません。近くの公園からはほんの一部分だけ見えます。探してぐるぐる回ってしばらくして、やっと見つけました。一辺20mの方墳で、墳丘の頂上には「忠臣隼人之墓」と彫られた石碑が立てられています。古墳とされていますが、2003年に行われた古墳周りの調査で古墳に関係する物が何も見つからず、古墳でない可能性が高いようです。
ウォーキングで訪れました。四方を住宅に囲まれています。たまたま表におられた住人の方に許可を得て、フェンスの近くで、撮影しました。
こんな住宅街に。
住宅の中に、囲まれて中まで行くのには、住宅の間に、入って行くので一声かけてください。
完全に住宅に囲まれています。住宅の隙間からようやくその姿を少しだけ垣間見ることができる。雄略天皇陵と言われている島泉丸山古墳の陪塚で雄略天皇の中心隼人という人の墓ということだ。
島泉丸山古墳の陪塚。ん~、雄略天皇の忠臣隼人の墓らしいが・・・・・・・。住宅地の周りをぐるぐるまわっても、ほどんど古墳が見えない。かろうじて、古墳の北西にある小さな公園の滑り台に立って、家と家の隙間からわずかに見える程度です。もう少し、なんとかならないかな?
雄略天皇陵の長尾街道をはさんだ北すぐ、新興住宅地の中に、雄略天皇天皇陵の陪塚「隼人塚」があります。この隼人塚については『日本書紀』清寧天皇元年には下記のように記述されています。「冬十月癸巳朔辛丑(9日)大泊瀬(雄略)天皇を丹比の高鷲原の陵に葬る。時に隼人、陵の側で晝夜哀號して、食を喫さず七日にして死す。有司、陵の北に墓を造りて禮葬する」小さな墳丘の上には「忠臣隼人の墓」と書かれた石碑が有りますが、現在は傍まで行く道すらなく、住宅と住宅の間の空き地から、僅かに石碑が見えるだけです。もちろん近所の人に尋ねても、隼人塚の存在を知っている人は殆んどいません。
名前 |
隼人塚古墳(雄略天皇陵陪塚い号) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
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史跡を前にするといろいろ考えますね。いい感じです。