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名前 |
瑞泉寺のしだれ桜 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
金沢市白菊町の瑞泉寺(ずいせんじ)は、金沢城下に静かに佇む真宗大谷派(東本願寺系)の寺院だが、実はここのしだれ桜が実に素晴らしい。枝垂れ桜の美しさというのは、やはり樹齢を重ねた大木にこそ感じるものだと思う。瑞泉寺のそれも、明確な記録こそ残っていないものの、境内で堂々たる枝ぶりを見せている姿からかなりの年月を経ていることは間違いないだろう。歴史ある寺院の境内にはよく桜が植えられているが、その中でもこれほど風格が漂うものは稀だ。春、桜が満開を迎える頃に訪れれば、門をくぐった瞬間から淡い紅色の花が枝垂れて出迎えてくれる。石造りの土塀や落ち着いた鐘楼を背景にして、長く伸びた枝から咲き乱れる桜の花房は圧巻だ。訪問者がまだまばらな朝早くなら、なおさらその美しさを独り占めしたような贅沢な気分にも浸れる。地元の人には知られた名木だが、公式に天然記念物や保存樹の指定がないのが不思議なほどの美しさで、金沢市内でも屈指の立派な枝垂れ桜だと思う。この枝垂れ桜を鑑賞するときにぜひ知っておきたいのは、やはり瑞泉寺という寺自体の歴史だろう。もともとこの寺の起源は、現在の野々市方面にあった上宮寺(じょうぐうじ)という寺院だったが、江戸時代の初め(1608年)に金沢の中心地である犀川片町へ移転した。その後、1633年に越中井波の瑞泉寺(富山県)の血脈を継ぐ僧侶、宣心が住職に入り、この時から寺名が瑞泉寺となったそうだ。寺が現在の白菊町の地に落ち着いたのは江戸時代中期の1732年のこと。この頃から瑞泉寺は金沢藩における浄土真宗(東本願寺)の中心的な寺院となって、藩内139ヵ寺を取りまとめる「触頭(ふれがしら)」の任務を務めてきた歴史を持つ。こうした寺院の格式や伝統を背景にすると、この枝垂れ桜が単に美しいだけでなく、歴史と深く結びついていることも理解できる。かつて瑞泉寺は数々の歴史的文書を所蔵していて、その中には加賀藩の藩政や寺社政策を示す重要な資料が数多く含まれている。現在ではこれら「瑞泉寺文書」が石川県の指定文化財となり、歴史研究に役立っているが、その文書の中にも桜や境内の記録が含まれているかもしれない。実際に記録されているかどうかは分からないが、少なくともこの境内の桜は長い間、地域の歴史を静かに見守ってきたのは確かだろう。また瑞泉寺は、大正11年(1922年)に火災に遭い、本堂が再建された経緯もある。つまり、この枝垂れ桜は大正の火災以前から寺を見守ってきた可能性も高いということになる。時代が変わり建物が再建されても、こうして境内に堂々と立ち続ける大樹にはどこか感動的なものを感じる。寺周辺もまた歴史を感じることができるスポットが点在している。例えば白菊町という地名は加賀藩士・前田平太夫の家紋「菊一文字」から来ており、江戸時代には足軽たちの住む五十人町と呼ばれた地域だった。さらに少し歩けば、前田家歴代藩主が眠る野田山墓所や、藩政期の花街の名残を感じるにし茶屋街など、金沢の歴史と文化が凝縮したエリアにたどり着くことができる。この瑞泉寺の桜を見に来た際には、歴史好きでなくても金沢という街の奥深さを楽しむことができるだろう。かつては加賀藩による徹底的な宗教政策の中で触頭という重要な役割を果たし、今では地域に根ざした寺院として静かな時間を提供している瑞泉寺。そんな瑞泉寺を象徴する存在が、この枝垂れ桜だと言っていいだろう。美しく堂々とした枝垂れ桜を眺めながら、金沢の歴史や地域の移り変わりに思いを馳せる時間は格別だ。ぜひ春先に訪れて、瑞泉寺の枝垂れ桜の持つ歴史の重みと美しさをじっくりと味わってほしいと思う。