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名前 |
瑞泉寺の銀杏 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
金沢市白菊町にある瑞泉寺(ずいせんじ)には、境内の中心に堂々とした大イチョウの木が立っている。瑞泉寺自体は江戸時代初期、寛永年間(1624~1644)に創建された寺で、元々は「上宮寺(じょうぐうじ)」と名乗っていたが、1633年(寛永10年)に富山県井波にある瑞泉寺の僧・宣心(せんしん)が入寺して「瑞泉寺」と改称した。そんな寺の境内を象徴するように立つのが、このイチョウの古木だ。このイチョウが具体的にいつ植えられたのかを示すはっきりとした記録はないものの、寺が現在地(白菊町・かつての石坂五十人町)に移転した享保17年(1732年)頃、あるいはそれ以降に植えられたと考えられている。つまり、ざっと数えても250年以上、この場所で寺と共に歳月を刻んできたことになる。瑞泉寺は江戸時代を通じて、真宗大谷派(東本願寺派)の重要な寺院として、加賀藩内の真宗寺院139ヵ寺を統括する「触頭(しょくとう)」という要職を任されていた。江戸時代に藩が寺を通じて人々を支配した時代、瑞泉寺は藩の政策の中心的な役割を担っていたわけだが、この大イチョウはその激動の歴史を黙々と見守ってきたことだろう。銀杏の木といえば、「火伏せの木」として知られることが多い。イチョウは水分を多く含み、火に強い木として、全国の寺院などで防火のために植えられることが多かった。例えば京都の西本願寺にある逆さイチョウは、寺が火災に見舞われた際に水を噴き出して火を鎮めたという逸話があり、各地の寺には似た伝承がある。ただ、瑞泉寺のこの大イチョウについては、そうした特別な逸話は伝わっていない。それでも、大正11年(1922)に寺が大きな火災に遭った際、このイチョウは火災を生き延び、現在まで堂々とした姿を保ち続けている。いわば、その存在そのものが火難を乗り越えたことを証明しているようなものだ。このイチョウは、地元金沢でも、特別に行政が文化財や天然記念物として指定しているわけではない。しかしその文化的価値は指定の有無に関係なく明らかだ。長い歴史を持つ寺院の景観を代表するこの巨木は、生きた文化遺産と言ってもよく、地域の人々から静かな誇りをもって親しまれている。特に秋には葉が一斉に黄金色に染まり、地面に敷き詰められた銀杏の葉はまるで黄金の絨毯のようだ。住民や参拝客が、落葉したイチョウの葉を踏みしめる様子は、瑞泉寺の日常的な風景となっている。さらに境内の建造物に目を向ければ、この瑞泉寺は井波彫刻との縁も深い。井波彫刻とは富山県南砺市井波地区を中心に発展した精巧な木彫技術で、実は瑞泉寺は井波から派生した寺院であるため、境内にはこの井波彫刻が多く施されている。山門の柱や梁、欄間に彫られた龍や牡丹などはまさにその名残であり、参拝ついでにそれらを眺める楽しみもある。大イチョウの木はそんな精緻な彫刻と調和して、瑞泉寺特有の静かで落ち着いた美しさを際立たせている。また瑞泉寺には膨大な寺宝や歴史資料があり、中でも「瑞泉寺文書」と呼ばれる17838点もの古文書群は市指定文化財になっているほどだ。これらの文書は江戸時代の加賀藩の寺社政策を明確に記録したもので、金沢の歴史を知るためには欠かせない重要な資料となっている。瑞泉寺は寺町界隈の寺院群の一角を担っており、その周辺にはかつて瑞泉寺と共に「東方触頭」を担った専光寺など歴史的に関係深い寺も点在している。散策して瑞泉寺を訪れると、この大イチョウの存在が寺町全体の歴史的景観に溶け込み、地域の雰囲気をいっそう引き立てているのを感じられる。最後に、瑞泉寺の大イチョウの魅力をひとことで表すとするならば、それは「黙して語る歴史の証人」だと言えるだろう。寺が創建されて以来、激動の時代を経て今に至るまで、何も言わずただ堂々と生き続けることで、この地域の歴史を静かに、しかし力強く語り続けている。その姿に触れれば、瑞泉寺を訪れる人は皆、きっと歴史の重みを改めて感じ取ることができるだろう。このイチョウに出会い、その深い歴史に思いを馳せるだけでも、瑞泉寺を訪れる価値は十分にある。金沢を訪れるなら、ぜひ立ち寄ってほしい場所のひとつだと思う。