藤原定家を祀る、佐野の静謐。
定家神社の特徴
佐野のわたし駅から徒歩10分の立地が便利な神社です。
鎌倉街道に位置し、藤原定家を祀っています。
万葉歌碑があり、樹々に囲まれた安らぎの空間です。
藤原定家を祀っている神社。古峯神社のところに芭蕉句碑があります。道祖神もありました。
ていか神社と読みます。祭神は藤原定家様です。敷地内には古墳、古峯神社も祀られて居ます。現在は皆んなの広場で寒い中子供達が走り回って居ました。高崎市特徴と由来歌聖・定家を祀る: 新古今和歌集の選者としても知られる藤原定家を祀る、全国的にも貴重な神社です。神社縁起: 定家がかつてこの地に流罪(あるいは下向)となった際に住んでいた場所、もしくは所縁の地とされています。境内: 境内の社殿の右側には、明治時代に移転してきた「富士塚(せんげんさま)」と呼ばれる土盛りの塚があり、石祠が祀られています。周辺: 近くには「佐野の渡し」に関連する碑があり、鎌倉街道上道のルート上にある歴史ある場所です。
佐野村古墳群の中にある。裏手にも古墳。表に小さい古墳あります。
鎌倉時代に活躍した歌人(公家)で、新古今和歌集や新勅撰和歌集を編纂し、小倉百人一首の選者でもある藤原定家が祀られていて、創建は江戸中期とされる。和歌の短冊などが社宝で、また市文化財に指定されている。社殿は北向きに鎮座し、拝殿は入母屋造りで本殿は流れ造り。いずれも朱塗りで、彫刻が配されていて、本殿は美麗で気品があり、祭祀されている人物にふさわしい佇まいがある。ちなみに、この一帯はかって古墳群があったところで、社殿の北側の鎮守の森にも古墳(円墳、径約21m)がある。2026/1/31
佐野のわたし駅から徒歩10分程度。江戸時代に建てられた社殿を見ていると、地域の方々に大切にされている神社であることがわかります。
定家神社は、鎌倉時代初期に活躍した歌人藤原定家を祭神としています。定家は『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の二つの勅撰和歌集の選者を務めるなど、当時を代表する歌人です。 神社には、社宝として、定家神社縁起1巻・伝藤原定家筆「在原業平歌集」・宮部義正独詠短冊1枚・源武邨奉納和歌1首があります。神社はそれ程大きくはないですが、社殿裏手には佐野村30号墳があります。
鎌倉街道にある小さな氏神様です。春の桜🌸や夏の盆踊りと地域の皆さんに親しまれて居ます。直ぐ近くには、鉢木で有名な佐野源左衛門常世を祭った常世神社もあります。
「佐野山に」万葉歌碑があります。埼玉騎西町玉敷神社宮司で国学院大学名誉教授の 河野省三(1882~1963)の書。旧拓画像を貼ります[臥00226]。・萬葉集巻十四東歌佐野山に 打つや斧音の 遠かとも寝もとか児らか 面にみえつる國學院大學長文学博士河野省三書。
ここ、定家神社(ていかじんじゃ)は、藤原定家(ふじわら の さだいえ)がご祭神の神社で、この神社名で検索しても、ズバリこの社名の神社は他には無い様で、珍しい感じがします。高崎市指定重要文化財 定家神社社宝(縁起一巻ほか)が所蔵されているそうで、和歌を愛される方には有難い神社ではないかと思います。境内は広くて、住宅街に近いので子供達が元気に遊んでいました。近くに佐野のわたしの佐野橋(現在修復中)もあり、ちょっとした観光スポットではないでしょうか。資料によると、伝承によると、定家(24歳の時)は源雅行との間で起こした揉め事が原因で上野国へ流罪となり、それが許されて京へと戻る際、自刻像と持念仏(観音菩薩像、3寸)を村人たちに贈った。これを神体として作った祠が定家神社の始まりであるという。また、「駒とめて…」の歌に見える「佐野」という地名にあやかり、江戸時代になって当地の文人らによって定家が祀られたともいう。定家が詠んだ「こぬ人を…」の恋歌から、恋愛成就の御利益があるとされる。とあります。
| 名前 |
定家神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
027-326-9482 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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定家といえば、「駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮れ」という一首ですが、この「佐野」は紀伊半島にあり、群馬とは全く関係がありません。が、おそらくは、そこら辺の事情を知らずに、「佐野のわたり」→「佐野のわたし」という連想により、「佐野は定家ゆかりの地である」という勘違いによって建立された神社なのではないでしょうか。 ……まぁ縁起はさておき桜が綺麗です。社殿も立派です。定家とは関係がありませんが、佐野山にまつわる万葉歌碑があります。駐車場も完備してます。行ってみてはいかがでしょうか?