宇佐神社古墳で歴史に触れる。
宇佐神社古墳の特徴
低墳丘の上に位置し、独特な景観が魅力です。
中腹の祠があり、静かな時間を楽しめます。
神社が祀られた歴史深いスポットです。
低墳丘の上に神社が祀られています。地名の二塚の由来になった古墳です。近くにはおまる塚古墳があり、過去には古墳群があったことがうかがえます。
神社が古墳の上に存在する。
中腹の祠がよい。
| 名前 |
宇佐神社古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
北塚町にある宇佐神社古墳(うさじんじゃこふん)は、一見すると小さな神社の境内にある緑に覆われたただの小山のようだが、実は古墳時代中期(5世紀後半頃)に築造された貴重な遺跡だ。神社境内の丘そのものが墳丘になっているため、ぱっと見で古墳と気づかない人も多いだろう。この宇佐神社古墳、形状としては直径20〜30メートルほど、高さ約3.5メートルの円墳に見えるが、実は専門的な研究によればもともとは全長約35メートルの前方後円墳であった可能性が高いらしい。今の姿は、後の時代に神社を建てるために一部改変された結果とのこと。古墳の形を残したまま神社に転用される例は日本各地に存在するが、宇佐神社古墳もまたその一例だ。内部は発掘調査が行われていないため、詳細な埋葬施設は不明なままだが、専門家の推測では墳丘内に横穴式石室が存在する可能性が指摘されている。横穴式石室は6世紀代以降に広まる形式であることから、この古墳が5世紀末〜6世紀初頭という時期に造られた可能性もある。ただ、現在の金沢市の公式な資料では「5世紀中期」としているため、考古学的な調査が進むまでは断定できない部分が多い。周辺には「北塚古墳群」と呼ばれる遺跡群が広がっていて、この宇佐神社古墳はその一角を成している。この古墳群は大小含めて約20基が確認され、現存しているものだけでも18基に上るという、金沢市内ではかなりまとまった古墳群だ。中でも宇佐神社古墳から北西約200メートルの場所には「おまる塚古墳」という墳丘があり、こちらは直径約23×19メートル、高さ4.5メートルで、同じく5世紀後半頃の古墳。墳頂には小さな祠が置かれている。宇佐神社古墳から南方約500メートルには「びわ塚古墳」という墳丘もあり、こちらは少し古い4世紀末〜5世紀初頭頃の円墳だ。この二つの古墳があったため、地域の地名は「二塚」と呼ばれているという。また、宇佐神社古墳の周辺は実は金沢の古代史を考える上でも重要な場所だ。近くにある神野遺跡では4世紀初頭の前方後方墳が発見されており、この辺りが古墳時代初期から地域の有力者の墓域だったことがうかがえる。宇佐神社古墳は、その流れを受け継ぎ、5世紀頃に再び古墳が作られ始めた時代の象徴とも言えるだろう。墳丘から出土した遺物については詳しい調査がされていないものの、同じ北塚古墳群では土師器や須恵器などが出土しており、埋葬の際に使われたであろう古墳時代特有の土器が周囲に存在することは間違いない。古墳が神社となった経緯にも興味深いものがある。宇佐神社の祭神は応神天皇と神功皇后であり、この祭神の組み合わせは日本各地にある八幡神社と共通する。神社の名前「宇佐」は、八幡信仰の総本山である九州の宇佐八幡宮に由来すると考えられている。創建年代ははっきりしないが、大正時代に近隣の神社を合祀して整備され、昭和18年には正式に村社として認められている。この古墳が神社の敷地として選ばれたのは偶然ではなく、古くから古墳が聖地として地域で敬われてきた証拠なのだろう。現在、金沢平野部で形がはっきり残っている古墳はごくわずかしかなく、宇佐神社古墳を含む北塚古墳群はかなり貴重な存在だ。規模は大きくないものの、この場所が北陸地方の古墳文化圏の最北部に位置し、当時のヤマト政権との関係や地方豪族の動きを考える上で重要な史跡であることは間違いない。古墳そのものの詳細な発掘調査は行われていないため、墳丘の下にどのような遺構や遺物が眠っているのかという期待もある。今後、調査が進んでいくことで、宇佐神社古墳の歴史的価値や古墳時代の地方社会の実態がさらに明らかになる日も来るかもしれない。訪れる際には単なる神社や小山ではなく、1500年ほど前に築かれた古墳がこの土地の歴史を静かに語りかけていることを感じながら眺めてほしい。地域史を考える上で、このような身近に存在する史跡の価値は極めて大きいものだ。