金沢城の背後に眠る歴史の橋。
金沢城 東内惣構 枯木橋詰遺構の特徴
金沢城の歴史を感じる、遺構が魅力的でした。
南側に位置する枯木橋が重要な役割を果たしていた。
石積みの違いを楽しみながら、歴史探訪ができます。
最高だったかも...
金沢城の総構の遺構。石垣の積み方について説明あり。
複数の由来がある歴史ある橋です。由来1久保市乙剣宮の社記に、「織田信長の命を受けて佐久間盛政と一向一揆勢力が争った元亀・天正の乱(1570年代)で、神社一帯が焼き払われ、境内の林も焼かれて枯木の林になってしまいました。その枯れた木が年を経てもそのまま立っていたので、この辺りの橋を枯木橋と呼んでいる。」由来2「越登加三州志(えっとがさんしゅうし)という本に、「この橋は、正保(1644~1647)の頃までは丸木を並べていて山間の渓谷にかかる橋のようであったが、その橋のかたわらに枯れ木が一株あったので、世人が枯木橋と呼んでいる。」(越登加三州志、加賀藩最大の史家・富田景周(とだ かげちか)著。藩内の地理歴史を調べたもの、45巻に及ぶ大著。「越」は越中、「登」は能登、「賀」は加賀。)由来3「亀の尾の記(かめのおのき)という本には「この橋も丸木を縦に並べたものであるが、橋の脇に榎木があったが、後に枯れてしまった。その木が近年まで残っていてので橋の名前になった。」(亀の尾の記、幕末、加賀藩の柴野美啓著。)これらのことから、橋の歴史は今から約四百年も前にさかのぼることができ、その名は、橋の傍らに枯れ木があったことに由来するといえそうです。
金沢城の惣構堀です。藩政期に築かれた石垣が残っています。
草木が生えているので、古い石積みと復元された石積みの違いがよく判りませんでした。
金沢城の東内惣構で、南側には堀に架かる「枯木橋」は、旧北国街道が城下に入る要所にあたり、門(木戸)を設けて橋番人が人の出入りを管理していた場所です。遺構は北側と南側にあります。
| 名前 |
金沢城 東内惣構 枯木橋詰遺構 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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石川県金沢市尾張町にある金沢城の遺構です。加賀藩主前田氏の居城だった金沢城には内堀・外堀の他に城下町の防衛ラインとして、内惣構・外惣構という堀と土塁が設けられ町全体を防衛する仕組みがあり、こちらは内惣構の一部になります。金沢市街の国道159号線(百万石通り)と国道359号線が交わる交差点に位置していて、街中の一角が小さな公園のように整備されています。ベンチや説明板が設置されていて、説明板には内惣構は1599年に二代藩主の前田利長が高山右近に命じて造らせたと記載されていますね。アクセスは車の場合は北陸自動車道の金沢西インターチェンジから7.5km、渋滞状況にもよりますが20分ほどで到着できます。専用の駐車場はなさそうなので近くのコーンパーキングを利用するか、お城やひがし茶屋街の観光のついでに訪れて下さい。公共交通機関ですとJR金沢駅から「城下まち金沢周遊バス」など路線バスの「橋場町」バス停で下車の後120m、徒歩1分ほどです。訪問時期:2026年5月。