名前 |
満勝寺の石幢 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
高崎市指定史跡。案内文と文化財ホームページに書いてあることを抜粋すると、石幢(せきどう)の名称の起こりは、寺の内陣の須弥壇(しゅみだん)を取り囲んでかけられる、細長い布製の旗を幢幡(どうばん)と呼び、ここからきたものと言われる。幢幡を6枚または8枚組合せてかけている様子を、石造物で表現したものが石幢なのだそうですが、わかりそうでわかりません。また、石幢は、中国で唐、宋の時代に流行ったものが日本に伝わり、鎌倉時代頃より造られるようになった。満勝寺の石幢では、基礎、中台、龕部のみが残っており、龕部四面の内一面には阿弥陀如来像が刻まれ、その両脇に「奉造立石堂一宇」「大願主道仙 大永四年甲甲六月吉日」と銘文が刻まれている。また、他の三面には、地蔵菩薩像二体ずつ計六体が刻まれている。また笠は他の部分とは別のもので、後でつけられたものとおもわれる。大永四年は西暦1524年にあたり、その当時の仏教信仰の様子をうかがわせるき貴重な資料である、としている。古からの息吹、囁きが聞こえてくるようです。