尾張商業の源、津島湊跡。
津島湊跡の特徴
津島湊は尾張から伊勢を結ぶ舟運の重要な商業地であった。
天王川公園内にあり、自然と歴史を同時に感じられる場所です。
毎年7月に行われる天王祭りで、特別な雰囲気を体験できる。
思いの外、津島湊跡が内地で周りには天王川公園の丸池が湊の面影⛵️尾張/熱田~伊勢/長島・桑名方面を結ぶ天王川舟運の川湊として物資の交流集積地、津島神社の参拝客も多く、商人も旅客も集まって繁栄を極め、堺湊に匹敵💰️信長の織田弾正忠家の資金力と経済力の源泉が津島湊だったんですね‼️だから戦国時代非常に高価だった火縄銃を相当数揃えることが出来たんですね納得🤔「天下布武」の下支えがこの地とは、勉強に成りました⚔️
天明年間(1781年~1789年)まで、津島には木曽川の支流の天王川が注いでいて、この辺りに津島湊という川湊があり、津島天神社(現津島神社)の門前町として、また交通の要衝として賑わいました。文祿2年(1593年)に今の天王川公園の車堤に設けられた船番所は、船会所に姿を変えつつ江戸時代末期まで続きました。天王川公園の車河戸はかつての津島湊の名残を今に伝えています。
天王川公園内にあります。が、説明板も無く湊跡について詳細は不詳です。
普段は湊跡しか無いが、天王祭りが行われる毎年7月 第四 土曜日曜神事中は湊跡に祭り部外者は入る事できません。大村知事も来た事あります。2020年1月から3月はサザエさんオープニングで2〜3秒湊跡からの天王川公園と天王祭り宵祭がアニメ化されてます。2020年ホンダ愛知カレンダー7月にも天王祭り朝祭りに使われてます。ソコに車いたら変だよ😆
天王川公園の端っこ雰囲気は良い。
2020.2.9NHK「麒麟がくる」第4回で紹介されました。尾張と伊勢を結ぶ河川交通の要衝で交易が盛んに行われた商業都市だった。津島の経済力を手にした尾張家は信長の父信秀の代で飛躍して、尾張統一を遂げた。
織田家繁栄の源。信長の祖父の代から貿易で賑わった。
昭和には競馬もあったそうです。馬が走る姿、見たかったなぁ。健康的な方達が公園を早足で歩いています。近所だったら歩きに行ってました。
ここは天王川公園の中ノ島の風景であります。我ながら無心によるものなのか中々のものでありました。昔の人々の事を偲んだのであります。ここらあたりを散策するのもよいかと思う次第であります。
名前 |
津島湊跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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真田戦記津島湊跡愛知県津島市宮川町1丁目津島湊は尾張から伊勢を結ぶ天王川舟運の川湊として繁栄を極め、川湊としては全国的でも有数な商業地として発展しました。室町時代には天王川に点在した川湊が土砂により浅瀬になり大きな商船の利用が出来なくなった為、津島湊に商人が集まり多くの物資の集積場となりました。織田弾正忠家は商人達で行う自治を組織し課税を取らなかった為、さらに発展し大坂の堺湊に匹敵すると言われました。織田信秀は守護代配下の3人の奉行の一人にすぎませんでしたが、主家の守護代や守護をもしのぐ勢力を得た理由は何より津島湊がもたらす莫大な利益にありました。しかし、江戸期に入り治水工事が行われ天王川が堰き止められると舟運での利用が無くなり次第に衰退しました。