信長公の焼け兜、圧巻の遺品。
総見院の特徴
織田信長公の焼け兜が拝観できる貴重な寺院です。
JR清州駅から徒歩圏内でアクセスも便利な場所です。
初代尾張藩主から寄贈された茶碗などの寺宝が揃っています。
織田信長の遺品、焼け兜を見に伺いました焼け兜の復元品などその他貴重な物が沢山ありその説明も住職様が丁寧にしてくださいました。
【織田信長の菩提と兜有り、子、信雄に関連あり】興聖山総見院は臨済宗妙心寺派の末寺である。織田信雄(のぶかつ)が父・信長を弔うために伊勢国桑名郡の安国寺を引き取り、忠嶽和尚を開山に迎え天正十一年(1583)に現在の地に「景陽山総見寺」を建立した。しかし、慶長十五年(1610)「清須越し」によって名古屋大須に移る。名古屋総見寺の三代住職閩山永吃(みんざんえいきつ)和尚は、尾張初代藩主・徳川義直公と亀姫(徳川家康公長女)の御両人から並々ならぬ帰依を受け、義直公自らが開基大檀那となって正保元年(1644)「興聖山總見院」を現在の地に創建し、閩山和尚を開山に迎え、信長公の菩提を弔うよう命じたのが始まりである。
織田信長縁のお寺です。本能寺の変後に見つかった織田信長公の焼けた兜や尾張徳川家縁の品々があります。庭の写真を取らせて頂いていたら住職の方が招き入れて下さりいろいろなお話を聞かせて頂きました。大須の総見寺さんとは関係あるそうです。
織田信長公の菩提寺、次男、信雄が本能寺の変の直後に探し出した信長の「焼け兜」、初代尾張藩主「徳川義直」から頂戴した茶碗、円空仏、等の寺宝がある、拝観を希望される方は事前に連絡された方が良いそうです。
お寺の関係者が見えなくて、焼兜を拝見出来ませんでした。
織田信長焼け兜見せてもらいました。貴重なお話も聞かせてもらいました。ありがとうございました✨
良いお寺です。御朱印も頂きました。
織田信長の次男信雄が本能寺の変の直後、焼け跡から探し当てた兜があります。連絡してから行くと良いですよ❗️
先ずは連絡の上冑を見学あれ。歴史を語る前に信長公の叫びを聞いて下さいませ‼️
名前 |
総見院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
052-400-3322 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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清洲にも信長公のお墓があり、隣に源敬公のお墓があります。