桶狭間の七ツ塚で歴史を感じる。
七ツ塚の特徴
桶狭間の戦いの戦死者を埋葬した歴史的な場所です。
目印が少ない中、知恵を巡らせてたどり着く楽しみがあります。
住宅地のど真ん中に位置し、歴史を感じる貴重なスポットです。
説明書きによると塚があったのは"この辺り"とあるので、この下に葬られているわけではないですねただこんな感じで信長が埋葬させたのだな、と。
桶狭間の戦いの戦死者を弔うための穴が7つ設けられたとされますが、そのうちの一つと伝わります。
2023年12月27日に墓参しました。永禄3年1560年の桶狭間の戦いにおいて戦死した今川軍の兵士を7つの塚に集めて埋葬しました。7つの内、現存する唯一の塚とのことでした。住宅地の中にありますので、徒歩で来られた方が良いと思います。
住宅と住宅の間にある慰霊碑がある塚です。住宅の庭先にある感じなのでひっそりと見学された方が良いです。慰霊碑の近くに看板に塚の説明が書いてあります。織田信長さんが戦死者を埋葬した7つを1つに集束した塚の様です。戦死者も今の歴史上にあるこの戦が語り継がれていること感謝を申し上げ慰霊の参拝をさせて頂きました。合掌。
住宅のすぐ側(敷地内のようなところ)にありびっくりしました。
区画整理で追いやられた感があります。本来なら一帯を公園整備してもおかしくないと思うんですけどねぇ。
信長が桶狭間で戦死者を七つの塚に埋葬したうちの一つが今も残されて、住宅街の奥に残ってる。かつて、山裾だったのがわかる。
桶狭間の戦いの後、織田信長が村人に命じ山裾に沿って7つの穴を一列に掘り桶狭間の戦いの戦死者を埋葬したそうです。
(説明板)七ツ塚今川義元を討ち取った織田信長は、全軍を釜ヶ谷に集めて勝鬨(かちどき、『エイエイオー』の掛け声)を上げた後、村人に戦死者を葬るよう命じて引き上げました。村人は山裾に穴を掘り埋葬したと伝えられています。そして、手厚く供養し、いつしか七ツ塚と呼ばれるようになりました。平成元年の区画整理に伴い塚の一つを残し、そこに碑が建てられました。桶狭間古戦場保存会近年緑区は名古屋市のベッドタウンとして発展したため、宅地開発で塚の多くが失われてしまいました。住宅街の中にありますので、家の方にご迷惑にならないように静かに写真を撮らせて頂きました。ありがとうございました。ここに沢山の兵たちが眠っていることを考えるととても可哀想な気がしました。豊明市には、戦人塚があります。そこでは桶狭間で戦死した今川兵2,500人が埋葬されました。
| 名前 |
七ツ塚 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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迷って地蔵池のほうまで行ってしまい散々迷いましたが、新興住宅地の民家と民家の間の路地を入った、まるで民家の庭先のような場所にありました。桶狭間のパンフによると、信長は今川義元を討ち取った後、釜ケ谷に全軍集めて勝どきを上げ、村人に戦死者を埋葬するよう命じると清洲へ引き上げた。供養は現在まで続けられている。…とあります。定期的にここに僧侶を呼んで読経とかしているのでしょうか。余談ですが、もしも仮にここが住宅用の土地で隣りの民家の土地ではない単独の土地なら、公道に対して間口が極狭の旗竿地で多分、建物の建築は不可ですよね。そんな形状の場所でした。