歴史と共に息づく安祥城。
安祥城址(安城城址)の特徴
春の訪問時、紅葉の美しさに感動し、何度でも行きたい場所です。
本多忠高の墓碑や歴史資料館が併設され、歴史探訪にピッタリです。
安城松平氏ゆかりの地として、戦国時代の雰囲気を体感できる貴重なスポットです。
あんじょう城、別名森城。足利一族の和田親平が築いた。1471年松平信光(3代)が攻略して清康(7代)が岡崎城に移るまで松平氏の本拠となった。1562年信長と家康との盟約が結ばれこれにより廃城となった。(以上日本城郭体系より)大まかな城跡は大乗寺の主郭、八幡社の曲輪その間の空堀(当時は障子堀みたいです)となり大乗寺楼門と道路沿いに城説明板あります。歴史博物館の駐車場利用しました。
2024.7駐車場あります(安城市歴史博物館 駐車場:無料)御城印は安城市歴史博物館で頂きました。散歩にもとても良い場所だと思います♪笙の塔も気に入りました^^
戦国期にたびたび戦場になった城址です。他の方の説明がたくさんありますので割愛しますが、城跡めぐりを初めてし始めた頃に伺った城址で、なぜか思い入れがあり何度も来ております。昔は本丸跡にある大乗寺(了雲院)山門のまえは草ぼうぼうでココ城址かと疑いましたが、現在では一応安祥城址公園も整備され、それにつながる山門前も綺麗な佇まいとなっております。大乗寺の道路沿いには徳川四天王である本田忠勝の父、忠高が戦死した場所に建つ墓碑があります。
安城城址は、現在は市民公園として整備されています。今回訪問👣した目的は、隣接の歴史博物館で、令和5年7月15日~8月27日の間『徳川の支柱 酒井氏 左衛門尉家(さえもんのじょうけ)と雅楽頭家(うたのかみけ)』が開催されていたからです。徳川四天王の一人酒井忠次の系統である左衛門尉家、もう一つは家康の重臣酒井政家(正親)の系統で、大老を輩出した雅楽頭家、それぞれの系統につながる資料が多数展示されており、とても興味深く観覧致しました。次回は、『三河本多一族』が、令和5年9月16日~10月29日に開催されるようです。今回の分といっしょに、観覧セット券を購入致しました。興味のある方は、是非訪問👣下さい。
小規模な城ではありますが、西三河の支配権をめぐり織田陣営vs松平・今川陣営との間で4次から5次にも及ぶ熾烈な「安城合戦」の舞台となった激戦地であり、それだけの価値がある重要拠点でもあったのですよ、ココは。松平氏は山奥の山村である松平郷に、初代・親氏が土着したことから始まりますが、生産性の低い山地から実り豊かな岡崎平野への進出は渇望に近いものがあったらしく、以後は本能のように代々平地へと向けて矢作川沿いに勢力範囲を広げていきます。そして3代目「信光」の時に、ついに岡崎平野に出ることに成功するのですが、そこで最初に見たのは豊かに広がる田園風景の中に島のように美しく佇む安祥城・・・コレは欲しい、絶対欲しいっ!(笑)。ネコの前に置いたツナ缶みたいなものでしょうか。しかし一つ問題がありました。現地に行くと分かりますが一帯が真っ平らで、ここだけが島のように微高地になっているため攻め取ろうにも、かなりの遠方から侵入方向や軍勢の数が丸見え・丸わかりなのです。そこで信光は一計を案じます。とある日の平和な夕方(笑)、城外の一角に突然男女が集って来て、かがり火を焚き、太鼓や鐘を打ち鳴らしながら面白おかしく集団で踊り始めます。当時の京都で大流行していた念仏踊りです。田舎では非常に物珍しく興味を引くものだったでしょう。現在で言えば「今、最先端の街ニューヨークで大人気の舞踊エンターテイメント集団が初来日!」といった感じかも。そりゃ当然、城兵たちも平常心ではいられません。近くで見たいです(笑)。田舎でこんな機会は滅多にありませんし。さらにその集団が見物人たちに酒や食べ物をふるまい始めたため、たまらず城を出て見物人の群に加わってしまいました。ハイ、もちろん「孔明の罠」に決まってますよね。信光が金で雇った芸能集団に「ゲリラ・ライブ」をするよう命じたのです。でも、これはワタシでも見に行ってしまうかも(笑)。 すべての注意がライブの方に向いた頃を見計らい、夜陰に紛れて信光の兵が忍び寄りアッという間に城を占拠してしまいました。無血占領、企画の大勝利です(笑) 今でも何かに使えそう。この辺りの経過は隣接する歴史博物館に説明があります。面白いと思ったので詳しく紹介してみました。その他「安城合戦」に関する資料など地元ネタが豊富で勉強になる博物館です。広い駐車場も併設されているので、是非こちらもどうぞ。
春に行って紅葉したら綺麗だろうって狙って出直したらヤッパビンゴでした。
本多忠高の墓碑があります。1797年に子孫である岡崎藩主本多忠顕により、戦死したこの場所に建てられました。
愛史協史跡巡りで行きました。城祉以外にも物凄く立派なお寺や施設が有り見所が沢山あります。
平日昼間に訪問小規模な平城の遺構とされる地方豪族が活用したとされる小規模な砦跡現在は跡地に寺院が建立され当時を偲ばれるものは少ない併設された博物館と共に見学すると良いだろい。
| 名前 |
安祥城址(安城城址) |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
https://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/maibun-sites-ansyoujou.html |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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徳川家康のルーツである安城松平氏の居城であった城で、松平清康の代に岡崎に移るまではこちらで統治していました。後に織田氏に奪われ、城を巡って攻防戦が何度か行われる前線の城でしたが、家康の代に織田信長との同盟が成立すると重要性が失われ、1562年頃には廃城、江戸時代には畑になっていたそうです。現在は、本丸跡に大乗寺、二の丸跡に八幡社が建っていて、周囲は公園として整備されたり博物館などの公共施設が建てられています。