名前 |
河井継之助埋骨地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
場所がとても分かりにくいです。山へ登る入口に看板が立っていますが、実際に登ってみると道が分岐しており、どの道を辿れば良いのか不明です。Googleマップのピンを目印に歩いてみましたが、そのピンが実際の場所と少しずれています。山に向かって細い道を登りますが、ピンより2段上の道を左折する感じです。河井継之助は長岡藩士で、戊辰戦争では長岡藩の軍事総督を務めました。とても優秀な人物だったらしく、戊辰戦争前から藩主の信任を受けて出世し、多くの政策が成果を上げていました。戦いの際に負傷し会津へ逃れる途中で亡くなり、葬儀は当時長岡藩主が避難していた建福寺で行われました。お墓が新政府軍に暴かれることを恐れて、遺骨は建福寺近くの山の中腹(このスポット)に一度埋葬されます。実際に新政府軍はダミーのお墓を掘り返しましたが、その中に遺骨がないことから継之助が生きているのではと大いに恐れたそうです。遺骨は終戦後に従者によって掘り返されて、故郷の長岡に埋葬されています。