徳川家の歴史を肌で感じる大樹寺。
大樹寺の特徴
大樹寺は徳川家の菩提寺として知られています。
戦国時代から崇敬を受けた歴史深い浄土宗の寺院です。
位牌が安置され、徳川将軍14代目の歴史を体感できます。
松平家・徳川将軍家の菩提寺。大きな三門、鐘楼とかなり立派だ。本堂の中には大きく「えんりぇど ごんぐじょうど」と難しい漢字が出迎えてくれる。桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、追手を逃れた家康が寺に逃げ込んだが周りを包囲され 先祖墓前で自害を決意。住職がこの浄土の教えを説いて思い止まらせ、寺僧と共に奮戦し命が助かったそうです。以来 家康はこの言葉を馬印として掲げたそうです。御朱印もこの言葉でした。安置されているのは幕府歴代将軍の位牌。一つの部屋にずらっと並べられ順番に見ていくと 明らかに小さな位牌が一つ。5代将軍 あの綱吉公だった。没した時の身長を表している位牌から推定124センチ、軟骨無形成症の為、手足だけが短かったようだ。向かい側に小学校があり、これまた総門が残され 岡崎城と直線上「ビスタライン」と呼ばれているそうだ。
大樹寺は愛知県岡崎市にある浄土宗の寺院で、山号は成道山、院号は松安院。札所は三河三十三観音3番、三河新四国八十八ヶ所霊場21番・22番(成道閣)。徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、歴代当主の墓や歴代将軍の位牌が安置されている。1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで総大将義元を失った松平元康(徳川家康)は、追手を逃れて手勢18名と共にこの寺に逃げ込んだ。この時の元康は弱冠19歳。寺を囲んだ追撃の前に絶望した元康は、先祖の松平八代墓前で自害して果てる決意を固め、第13代住職登誉天室に告げた。しかし登誉は問答の末「厭離穢土 欣求浄土」の教えを説いて諭し、元康は生き延びる決意をした。第13代住職登誉天室がいなければ、若き日の家康がここに逃げ込まなければ、江戸時代は存在しなかったと考えると、歴史ロマンを非常に感じますね。また、大樹寺三門前から総門(現岡崎市立大樹寺小学校南門)を通して、岡崎城天守を眺めることが出来る。両点を結ぶ約3キロメートルの直線を「ビスタライン」と呼んでいる。晴れていれば総門の真ん中に岡崎城が見えます。貴重な文化財も沢山あり、400円の拝観料を払えばガイドさんの説明を聴きながら文化財を観賞することが出来ます。とにかく歴史好きには堪らないお寺です。岡崎を訪れたら岡崎城だけでなく、大樹寺にも是非訪れてみて下さい。
駐車場は南側から入れます。10台くらいとめられますが、待っている場合も。駐車場の敷地に隣接して、ソフトクリームなどを売っている小さな売店もありました。奥は有料ですが、それ以外は無料。奥に配置される松平家、徳川将軍家位牌。将軍の身長の大きさらしくて、そこに将軍さまがいるみたいで忘れられません。お墓もあります。拝観料を支払う窓口でご朱印も受けられます。そこで岡崎の赤だしも売ってました。
徳川家縁りの大樹寺です。無料駐車場もあり、奥の一部を除けば拝観も無料です。本堂を背中に正門の向こうを覗くと今でも岡崎城が見ることが出来ます。本堂も拝観料なしで参拝できますし、自動音声で観光案内も実施してます。御朱印もそれほど待たずに頂きました。
今日は岡崎の鰻のかも川へ行く途中、時間があったのですぐそばの徳川家菩提寺の大樹寺へ20分ほど寄り道。徳川家菩提寺とあって流石に趣がある。本堂から真っ直ぐ正門を見るとその先には岡崎城が。全て計算された作りが徳川家の偉大さを感じる。
かつての庇護者だった徳川家だけでなく、現代でもビスタラインを維持するため住民が協力したり、ついには岡崎市が条例を作って景観を保護するなど、官民問わず地域総出で大事にしている寺院。
徳川家の歴史を肌で感じられるお寺。貴重なものを見ることができる。大樹寺から岡崎城を巡るルートが観光にはちょうどいいと思います。
徳川家の菩提寺。徳川14代将軍までの位牌が置かれてます。それも位牌の高さは身長と同じ高さです。15代将軍はいませんでした。慶喜さんは宗教が違うからでしょうかね〜。東京の増上寺にもいませんからね。谷中霊園に祀られてます。入館料は400円でした。将軍が菩提寺に訪れた際に休憩された部屋なども見られます。
このきらびやかな仏教芸術は自分の目でみることをおすすめします。
名前 |
大樹寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0564-21-3917 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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松平家及び徳川家の菩提寺です。松平家歴代当主のお墓、徳川歴代将軍(15代徳川慶喜を除く神道であったため?)の位牌があります。位牌は将軍の身長と同じ高さだそうです。徳川綱吉は低身長だったとか。徳川家康好きには勉強になるお寺です。厭離穢土欣求浄土を徳川家康が教えを受け、平和な時代を築く為に、決意を新たにした場面は感動しました。横山光輝氏の徳川家康の漫画でもこの場面があり、一部が説明と共に置かれています。