格式高い家康ゆかりの寺。
招賢山 白蓮院 東林寺の特徴
徳川家康公が訪れた歴史あるお寺です。
境内は非常に清潔感にあふれています。
歴史を感じる静かな雰囲気が素敵です。
家康が二度も来たというなかなか格式の高いお寺。義経のゆかりもあるという。拝観料はない。
家康が二度来訪2024年5月上旬、赤坂宿&御油宿探訪の際に参拝しました。説明板によると————————————————————-東林寺は、室町時代の中頃の永享年間(1429〜1441)に龍月日蔵和尚によって創建され、当初「洞元庵」と呼ばれていました。本尊の阿弥陀如来は、鎌倉時代初期の中央仏師の作と推定されています。言い伝えによれば、この如来像は奥州に下る牛若丸(義経)に契りを結んだ三河矢作の浄瑠璃姫の念持仏で、龍月日蔵和尚が当寺に移し、本尊として祀ったとされています。また、本寺にある思沙門天立像、青面金剛立像及び阿弥陀三尊画像、来迎阿弥陀三尊画像も市の文化財として指定されています。この寺には、徳川家康が二度も立寄っています。また、芝増上寺の管長祐天大僧正がたびたび訪れていることからも、当時の隆盛ぶりをうかがい知ることができます。豊川市教育委員会———————————————————-とあり境内は落ち着いた雰囲気でした。
ご縁があり、お参りさせて頂きました。きれいな寺院で、心地よかったです。御朱印も頂きました。ありがとうございました。
ご縁があり、お参りさせて頂きました。きれいな寺院で、心地よかったです。御朱印も頂きました。ありがとうございました。
広い境内で手入れが行き届いています。ご朱印は優しいお庫裏さんが快く直書きで対応して下さりました。
徳川家康公が2回も訪れたお寺のようです。御油宿の発展を陰で支えた飯盛り女達は、たいてい無縁仏となったようですが、このお寺は飯盛り女達を手厚く供養されたそうです。とても優しい話ですね。
永享年間(1429年から1441年)に創建された寺院。江戸時代には、三河の領主であった徳川 家康が2回立ち寄って休息しています。本堂左手の墓地には、御油宿で働いた飯盛女たちの墓がひっそりとまつられているそうです。立派な名刹。
境内、とても清潔。感謝しています🙏
| 名前 |
招賢山 白蓮院 東林寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0533-87-2824 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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東海道五十七次の中で一番、ここと赤坂は一つにしてよいのでは、というぐらいに近い。継立は片継で、朱印状は両宿に対して一通。そこは実質一つの宿場扱いなのだが、分けて存在させる必要がどこにあったのだろうか。家康さんは2回、三河領主時代に東林寺を訪れている。この付近は椿が多く植えられていた。椿油の御油ということだ。刀槍の防錆には欠かせない「御」がつく油。さらに、追分を持つ宿場としての監視責任がある。宿場機能の他に、赤坂とは違う独立した役割があり、家康さんが関ヶ原の戦い以後の街道整備で発足させている。訪10後。