新選組ゆかりの弁天台場。
弁天台場跡の特徴
1863年に完成した箱館港の砲台としての歴史が刻まれています。
武田斐三郎が設計した弁天台場の存在は感慨深いものがありますね。
新選組ゆかりの地として訪れる価値があるスポットです。
2023.5 現在は公園の片隅に、新選組最後の地碑と共に、案内板が設置されているのみです。維新後急発展する中、埋立が進められ、ドックが出来るなど、時代の流れにより、台場の痕跡を見る事はできません。土方歳三は、孤立した弁天岬台場の救出の為、五稜郭よりここまで、騎乗して駆けつける最中に、新政府側の銃弾を受け没したとの事です。
函館市弁天町にある史跡。かつては箱館の海上警備のために建設された大砲を置くための台場があった場所です。設計者は五稜郭と同じ武田斐三郎。不等辺六角形の形をしていました。箱館戦争で新選組が戦った最後の場所でもあります。現在は周りの海が埋め立てられ当時の痕跡はほとんど見られません。函館どつく近くには史跡標が建てられ名前の由来にもなった厳島神社隣の入舟児童公園には説明板が設置されています。
幕末に外国船対策に建設されたお台場ですが、唯一の活躍の機会が箱館戦争の際の旧幕府軍と新政府軍の内戦だった要塞跡です。最後の新撰組が五稜郭とこの台場に立てこもり抵抗しますが落城し、明治期に港の拡張のため解体され、跡形もなくなっておりました。名残をとどめるのは函館ドックという会社の前の立て札が1本だけです。函館どつく前電停の目の前にある入舟児童公園に「新撰組最後の地」の碑と「弁天岬台場」についての案内看板が、徒歩10分程度の称名寺に土方歳三の供養碑があります。
外敵からの防備の為に、10万両を投じて造った台場の跡。箱館戦争で実際に使用され、その後、陸軍の所管に移されました。今は函館どつくがあります。
新選組ゆかりの地を巡る中で函館市電の終点まで来ましたが、あるのはこの小さな碑だけ。そして何故か散乱している謎の自転車群…もうちょっと何とかならなかったんでしょうかねぇ…?
ここ?と言うような場所にありました。自転車置き場の片隅でした。
燃えよ剣読書としては胸アツな場所であるのは間違いないです今はひっそりと公園に碑があるだけですが感慨深いですね。
何となくどんな所か想像してたけど、もういいかな。
燃えよ剣読書としては胸アツな場所であるのは間違いないです今はひっそりと公園に碑があるだけですが感慨深いですね。
| 名前 |
弁天台場跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
http://www.jp-history.info/historic-sites-and-statue/2181.html |
| 評価 |
2.8 |
| 住所 |
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埋め立てられて何も無いですが、もう少し綺麗に整備されると良いと感じました。この付近にに砲台場があったと考えると胸熱です。歴史的に大切な場所と感じます。