燃えよ剣!
弁天台場跡の特徴
1863年に完成した箱館港の砲台としての歴史が刻まれています。
武田斐三郎が設計した弁天台場の存在は感慨深いものがありますね。
新選組ゆかりの地として訪れる価値があるスポットです。
ここ?と言うような場所にありました。自転車置き場の片隅でした。
燃えよ剣読書としては胸アツな場所であるのは間違いないです今はひっそりと公園に碑があるだけですが感慨深いですね。
何となくどんな所か想像してたけど、もういいかな。
函館どつくを見に行く時通過。
①弁天台場は箱館戦争の舞台の一つ。②六角形の形をしていた。③明治後期に取り壊され跡地は函館どつぐになっている。④遺構は全く残っていない。
弁天台場跡【説明】弁天台場は箱館港の防衛拠点として1863年(文久3年)に完成した砲台である。洋式城郭・五稜郭を手掛けた「武田斐三郎」の設計により、徳川幕府が約8年の歳月をかけて建造した。箱館戦争時、旧幕府軍の重要拠点だったが、新政府軍の攻撃で五稜郭降伏前に降伏。台場は1896年(明治29)に解体され、今はその痕跡も残っていない。【弁天台場跡・アクセス・場所・地図】北海道函館市弁天町20新選組も奮戦した弁天台場の新選組は、島田魁🌠しまだ・かい🌠が率いた。
放置自転車(?)に紛れるように、白い碑(?)があるだけで、新選組が守った弁天台場の当時を偲ぶよすがはありません。むしろ、近くの函館港改良工事記念碑へ向かいましょう。
時間なければ跳ばしてよいと思う。見られるものは特にない。雰囲気を楽しもう。
函館戦争の激戦地の一つ。現在は取り壊され函館どつくの前に標柱を残すのみ。少し離れ公園に台場の事が書かれた説明板があるぐらいです。
名前 |
弁天台場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.jp-history.info/historic-sites-and-statue/2181.html |
評価 |
2.8 |
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新選組ゆかりの地を巡る中で函館市電の終点まで来ましたが、あるのはこの小さな碑だけ。そして何故か散乱している謎の自転車群…もうちょっと何とかならなかったんでしょうかねぇ…?