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名前 |
五松山洞窟遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
弥生時代から古墳時代のもので、海蝕洞窟を現存する洞窟は少ない。昭和13年に人骨、金銅製耳環などが見つかり、焚き火跡なども確認された。昭和57年に一基が発掘され、弥生から古墳時代の遺構として注目された。土器、鉄器、人骨などが確認され、洞窟住居と見られる。古墳時代のものは人骨19体が確認され、状況から無造作に遺体を置いたものとされている。一方で衝角付冑、圭頭太刀なども出土しており、国造クラスの副葬品との類似が見られる。伊豆諸島のオオツタノハガイの腕輪などのほか、北方系のものも出土している。標柱などがなく、洞窟がどこにあったかは落石防止の法面工事で一切不明になっている。また付近の生活道は狭く、車での接近はやめたほうが良い。なお50mほど離れたところは箱崎山洞窟群と呼ばれ、やはり人骨などが出土した。総じて牧山南面は鹿松付近まで、いくつかの洞窟遺跡があったが、保存状態は悪く、所在不明、法枠工事で破壊されている。