新庄藩の歴史を感じる静かな公園。
新庄城跡の特徴
お堀にかかる橋を渡ると、景色が広がる趣深い場所です。
新庄藩の戸沢家が260年間拠点とした歴史ある城郭です。
最上公園には三つの神社があり、白い鳥居が印象的です。
新庄駅から徒歩約20分関ヶ原後に戸沢氏によって建てられた城です。平城ながら堀、土塁がよく残っており城らしさがよくわかります。しかし、戊辰戦争で庄内藩に攻められ炎上した歴史あって櫓等建築物はなく戸沢神社のみがあります。素人には全く面白みない城址ですが城好き、歴史好きにはおすすめです。
新庄藩の戸沢家が江戸時代の始まりから終わりまで約260年間にわたり、拠点とした城郭である。幕末の戊辰戦争とその事後処理により、堀と土塁以外はほとんど跡形も無くなっている。その城跡の中には戸沢家を祀る戸沢神社がある。また藩開祖の戸澤政盛の銅像も城跡入口に鎮座している。古に思いを馳せたいのであれば、城跡の堀の周りや土塁を歩いてみてはどうだろうか。よほどの城好きでないと、城としての楽しむのは難しいかもしれない。
今は最上公園となり、市民の憩いの場になっています。戸澤神社・護国神社・天満神社・あじさい公園・池・広場があります。広い堀と土塁が残っています。堀にカモがたくさんいました。
2023年8月9日に久しぶりに訪れました。戸沢氏の始祖である平衡盛は、源平合戦の頃に現在の岩手県雫石町戸沢(滴石荘戸沢邑)に下向します。奥州合戦に参陣して源頼朝に認められ、その地の地頭となり、御家人になりました。所領の地名を名乗り、戸沢衡盛となります。ここから、戸沢氏が起こりました。南部氏からの圧迫を受け、秋田県西木村西明寺(小山田城か?)に本拠地を移し、1220年に門屋へ移り、門屋城を1228年に築城しました。古文書では、応永30年1423年に角館へ本拠地を移したとあります。最近の研究調査では、文明年間1468年頃以降に角館に入ったと考えられています。関ヶ原の戦いの頃は、徳川方に付き、上杉軍と戦いました。その戦功から常陸国松岡へ転封されました。元和8年1622年に最上氏の改易により、加増されて新庄へ移封されます。最初は、今の真室川町に残る鮭延城へ入りました。寛永2年1625年に初代新庄藩主戸沢政盛が、新庄城を築城しました。寛永13年1636年の火災で天守櫓は焼失しました。そのまま、天守は再建されませんでした。慶応4年1868年の戊辰戦争では、秋田藩の動きに同調して新庄藩も奥羽越列藩同盟から離脱し、新政府側に方向転換しました。そのため、庄内藩から攻め入られ、城下は灰燼となりました。戸沢氏は、佐竹氏を頼って秋田へ逃れたそうです。高校時代に新庄祭の夜、ここのお堀を歩いたことを思い出しました。懐かしい場所です。
見所は濠と土塁 門跡綺麗の昔のままという訳ではありませんが比較的昔がどんなものかはわかりやすいような感じでは残っているように思われます本丸内に駐車できます。
綺麗に整備されていますね。御守り販売所の売り子さんが感じ良い。
2022年4月24日。ライトアップされていると聞いたので行ってみました。屋台も多数出ていて楽しめました。
2022年は桜が咲くのも散るのもあっという間で、4月25日時点で山形県内の桜の名所で桜が見られたのはここが最後でした。お花見の名所としては、若干こぢんまりとした感もありますが、公園内には戸沢神社、天満神社、護国神社が祀られ、お堀や池など新庄城址としての趣があります。
カド焼きまつりの会場。駐車場は、隣のあじさい公園。感染症対策のため、基本はお持ち帰りです。会場で焼いてます。頼んだら、見せてくれました。
名前 |
新庄城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0233-22-2111 |
住所 |
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HP |
http://www.city.shinjo.yamagata.jp/k001/020/010/020/2571.html |
評価 |
4.0 |
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お堀にかかる橋を渡ると樹木が生い茂る先に神社があって厳かで風情のある場所。桜の時期は終わっていましたが新緑が美しく気持ち良かったです。アジサイがとても沢山ある所があり、お花が咲く頃に来たら素晴らしいだろうなーと思いました。向かい側に芝生の広場があり、子供が遊べる遊具なんかもあって、シートを敷いてピクニックしてる方もいました。全体的にとても癒される場所でした。