悲劇の白虎隊、自刃の地へ。
白虎隊士自刃の地の特徴
飯盛山は白虎隊士自刃の地であり、歴史的な悲劇を感じられます。
鶴ヶ城を見下ろす展望スポットで、会津を一望できる魅力があります。
白虎隊観光として整備され、気持ちよく訪れることができます。
飯盛山の山腹にあるので、下から徒歩でお墓のあるところまで来るのは体力が必要ですが、有料エスカレーターを使えば、かなり楽勝です。1人250円ですし、下りは徒歩でおりるしかないので、これでさくっとあがって上を見学する時間を増やす方が良いのかなと思います。上にあがったら、まずは100円でお線香を買い、左手奥でお線香をあげましょう。ただ100円を入れる箱がボロボロすぎて、ちょっと引きます。もう少しきれいな箱に取り換えて欲しいです。自刃の地へは右手の道を進み、2,3分歩くと墓地が見えてきます。現地からは目をこらすとお城が見えますが、かなり小さいため、見つけても微妙です。合掌。
とにかく体力に自信のない方は勇気を出して下さい。わたしは体力に自信がないので辛かったですが、良いものが見れました。周りの皆さん、お城の位置どこどこー?って言ってる方が多かったです。分かりにくい方は、わたしの写真を参考にしてください。長いポールがある写真がありますよね?そこを目印に見るとお城の位置が分かります。ポールは比較的探しやすいです。
会津戦争!勘違いから、少年たちが腹を切ったとされる地。得てして悲劇とは、そういうものかもしれない?今ここから眺める会津の風景は素晴らしいが、白虎隊の少年たちには絶望の風景にしか見えなかっただろう。(合掌)
戸ノ口原の戦いで西軍(政府軍)に敗れたことを復命するために弁天洞窟(戸ノ口堰洞穴)を通って退却してきた白虎隊士たち。この地からかすみに覆われた鶴ヶ城を見て落城したと誤認し、ここで自決したという。解説板、鶴ヶ城を望む白虎隊士の像があります。現在でも会津若松城を遠くに望むことができます。城は高くぞびえるアンテナの真後ろにあります。下から飯盛山動く坂道で上がることができますが、できれば戸ノ口堰洞窟からさざえ堂を経てこの地へ向かうことをお勧めします。
鶴ヶ城を見続けている像がとても悲しく見えました。青森県むつ市の会津藩の再興が許された斗南藩上陸の地も同じく鶴ケ崎城を見ていて共通するものが有ると思いました。
飯盛山で19士全員自刃には疑問の声もあるので、白虎隊自刃について諸説学んでから行かれると良いと思います🥷白虎隊士自刃の地から鶴ヶ城方面を眺めました。
エスカレーターで飯盛山に登る。大人¥250。少年隊士の像が目を凝らして見ている方向が鶴ヶ城。お墓にお線香がたくさん供えられていた。この山から市街への眺めが良い。ここから徒歩数分でさざえ堂。
若き白虎隊士が自刃した悲劇の地です。長い階段を上った先には広場があり、翼を広げた鳥が止まった石柱があります。この石柱はどうやらポンペイから出土したという大変価値のあるもので、白虎隊士に感銘を受けたムッソリーニから日本に送られたもののようです。この広場から墓石の並ぶ道を進むと、開けた高台に着きます。高台には遠くを望む少年の像が立っていて、この少年の視線を追った先に鶴ヶ城があるようです。階段の途中には会津さざえ堂という重要文化財に繋がる道がひっそりと続いているので、観光の際には気付かずに通り過ぎないようにしたいです。
白虎隊隊士がこの地で自刃したことはあまりにも有名…
名前 |
白虎隊士自刃の地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0242-39-1251 |
住所 |
〒965-0003 福島県会津若松市一箕町大字八幡滝沢155 |
評価 |
4.2 |
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「戊辰戦争」の激戦地である会津若松にある飯盛山は、あの悲劇の死を遂げた“白虎隊”の終焉の場所である。仲見世を通るとスロープコンベア(有料)があり、楽に山頂まで行ける。白虎隊は会津藩が編成した四つからなる組織で「朱雀隊」「青龍隊」「玄武隊」「白虎隊」でそれぞれ年齢別に構成されている。白虎隊は年齢の若い16歳から17歳の会津藩士の子息によって構成されており、白虎隊は実際の戦闘に出る予定はなく、主に城の警護が主な任務であり、予備隊という位置づけ。しかし、戊辰戦争が始まり戦場が会津に移ることで、藩主松平容保公から出陣命令が下され、白虎隊は戦火の中に身を投じる事となる。白虎隊は、戸ノ口原での戦場で多くの負傷者を出したことから、戸ノ口堰洞穴を通って飯盛山に逃げ延び、城に戻って戦うか、ここで自刃するか激論した末自刃の道を選択する事となり、隊士20名が自刃する事となった。しかし、20名の隊士の内の一人“飯沼貞雄”(幼名貞吉)は自刃の際急所を外し死にきれず飯盛山に引き上げた二十名の白虎隊士の中で唯一の生存者になった。戊辰戦争・白虎隊の自刃に至るまでの詳細を貞吉が語ったことで、白虎隊の真相物語が世に知られる事となる。お墓には、飯沼貞吉の遺髪と歯が納められています。会津若松に観光に行ったら必ず行く事をお勧めします。