荒城の月碑で感じる歴史。
荒城の月歌記念碑の特徴
荒城の月の碑は、かつての月見櫓の跡に設置されています。
詩碑には、荒城の月の歌詞が1番から4番まで刻まれています。
滝蓮太郎と土井晩翠の意外な関係にビックリしました。
「荒城の月」のモチーフは、作曲者である滝廉太郎の出身地である大分県、竹田市の岡城ではないのか? と元県民としては首をひねった。しかしながら、作詞者である土井晩翠は旧制二高(仙台)の出身者で、学生時代に鶴ヶ城を訪れ、詩想を得たと昭和21年の会津若松市での講演で語ったそう。詩が先で、滝廉太郎はこれに曲をつけているから、なるほどそれも不自然ではない。昭和22年6月には、土井晩翠は大分県別府市で開かれた滝廉太郎を顕彰する音楽祭で講演しており、同市内でその記念碑を見た記憶があるので、てっきり詩のほうも岡城が舞台と思い込んでいました。作詞者・作曲者それぞれが、別の「荒城」をイメージして名曲が生まれたということでしょうね。
荒城の月と言うと青葉城のイメージが強かったのですが、鶴ヶ城もイメージされていたようですね。
有名な『荒城の月』は、仙台出身の詩人、土井晩翠が仙台城(青葉城)と会津若松の鶴ヶ城をイメージして作詞しました。そのことが講演会で語られたことをきっかけに、晩翠直筆の歌詞を刻んだ石碑が建てられ、ご本人を招いて除幕式が行われました。
鶴ヶ城に土井晩翠の「荒城の月」の歌碑があることを、仙台にある「晩翠草堂」の説明ボランティアの方から聞き、鶴ヶ城自体は一度来たことがありましたが、今回は歌碑をメインに仕事の途中寄り道しました。「荒城の月」の城のイメージモデルが、仙台の青葉城と子供の頃に修学旅行で訪れた会津若松の鶴ヶ城であったとのことでした。その詩に曲をつけたのが瀧廉太郎。その瀧廉太郎がイメージした城は、大分県の岡城であったそうです。
荒城の月は青葉城だと思っていましたが、鶴ヶ城も入っていたんですね。知りませんでした。
荒城の月の碑があるとガイドブックで見て伺いました!
ここにあるの知りませんでした。
立派な碑がありました!
(゚Д゚)桜🌸ちょっと早かったけど、キレイでしたよ2023/04/01
| 名前 |
荒城の月歌記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0242-27-4005 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 8:30~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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土井晩翠翁作詞の有名な詩歌である。滝廉太郎が後に曲をつけて歌曲とした。記念碑は土井&滝双方の顕彰も兼ねている。荒城の月の詩歌に関しては実は白河小峰城がモデルだとする説もある。それは土井が東北本線で移動中に車窓からチラッと見えた小峰城跡の高石垣に感銘を受けたとことからこの詩歌が誕生したと言う説。森繁久彌さんの著書にも東北地方を列車にて旅の途上に停車した白河駅から見えた小峰城跡について触れてあるから、土井のエピソードもあながち虚ではない。時代的には土井が鶴ヶ城を訪れた遥かに後年にはなるが、そんな話を白河で聞いたので記しておく。