大伴氏の祖神を祀る神社。
伴林氏神社の特徴
美しい八重桜や大きなイチョウがあり、自然を楽しめる。
西の靖国神社とも称される、由緒ある大伴氏の神社である。
住宅街に静かに佇む、地域に根付いた歴史ある神社である。
大きなイチョウの木があり、境内はとても綺麗で植物なども手入れがされていて居心地がよかったです。社務所にいらっしゃった女の方が気さくにお話してくださり嬉しかったです。またご参拝に行こうと思います。
大伴氏(後の伴氏)の祖先神、道臣命をお祀りするめずらしい神社。参道の正面に見える拝殿の荘厳な美しさは格別。
ともばやしのうじのじんじゃ。大伴氏ゆかりの神社です。御朱印を頂くことができます。
住宅街にある静かな神社です。桜が満開でとても綺麗でした。そんな中、5年前にここが地元の若手演歌歌手「辰巳ゆうと」が植樹したという桜が立派に花を咲かせていました。
八重桜がとても美しい時期に参拝しました。こちらは、長さ90センチもある万葉みくじが有名との事でおみくじを引きました。夕方4時ごろに訪れ、もうあちこち閉める準備をしていたにも関わらず、授与所の女性の方がとても親切におみくじの事を教えて下さいました。今度はもっと早い時間にゆっくり参拝したいと思いました。
初詣でお詣りしました。大伴家持が有名な大伴氏所縁の立派な良い神社です。
読みは「ともばやしうじのじんじゃ」軍事を司った大伴氏の祖神道臣命を唯一祀る神社で「西の靖国神社」と称される靖国神社より移贈された手水舎もあります。
西の靖国神社とも呼ばれたという、由緒正しい古社。御祭神は道臣命。神武天皇東征に付き従った忠臣で、道案内の神ともされます。女性になりきって巫女役をしたと日本書紀にありますので、たおやかな方だったのかもしれません。巫女になれるということは、感性の豊かな方だったのかも???大伴家持ゆかりの神社ということで、萬葉みくじが引けます。萬葉集の歌と、現代語訳、そしてとても簡単な解釈が書かれているだけで、吉凶はありません。それだけに、いろいろと味わえて、却ってよいかも。神職さんご夫妻は気さくで柔らかな雰囲気。何度も立ち寄っていますが、いい感じです。
西の靖国神社とも呼ばれたという、由緒正しい古社。御祭神は道臣命。神武天皇東征に付き従った忠臣で、道案内の神ともされます。女性になりきって巫女役をしたと日本書紀にありますので、たおやかな方だったのかもしれません。巫女になれるということは、感性の豊かな方だったのかも???大伴家持ゆかりの神社ということで、萬葉みくじが引けます。萬葉集の歌と、現代語訳、そしてとても簡単な解釈が書かれているだけで、吉凶はありません。それだけに、いろいろと味わえて、却ってよいかも。神職さんご夫妻は気さくで柔らかな雰囲気。何度も立ち寄っていますが、いい感じです。
| 名前 |
伴林氏神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
072-954-5126 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 8:30~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
〒583-0007 大阪府藤井寺市林3丁目6−30 伴林氏神社 |
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
伴林氏神社(ともばやしのうじのじんじゃ)。大阪府藤井寺市林。式内社(小)、旧府社。【祭神】高皇産霊神 (配祀)天押日命(アメノオシヒノミコト) 道臣命(ミチオミノミコト)「天押日命」はタカミムスビの御子で、ニニギの降臨に随伴したと記紀に記されています。また「道臣命」はアメノオシヒの孫にあたり、神武天皇の東征にあたり先鋒を務め警護にあたりました。【関係氏族】林宿禰(大伴宿禰の同祖で、室屋大連公の子、御物宿禰の後裔)古来の祭祀氏族である「林宿禰」や、古代の氏族である「伴林氏」に関連するものとある。資料によると、平地で広い境内を持っている。地名の「はやし」は古代樹木の生い茂る場所で、大木を神木として神の天降ります神奈備とした所を意味する。当社の地名「林」は『倭名類聚抄』河内国志紀郡の「拝志郷(はやしごう)」の遺称と考えられます。河内に多い社号と氏族名と郡郷名が一致する神社である。志紀郡拝志(ハヤシ)郷で、祭祀氏族が林宿禰となる。伴林氏神社の西側には「拝志(はやし)廃寺」の跡があり、境内には、塔の心柱の礎石が残っている。昭和7年ごろ、道臣命を祀る全国唯一の神社として注目を浴びるようになり、戦時中の同15年には「西の靖国神社」として整備充実が進み、府社に昇格した。「大伴氏」の一族である「林氏」が祖神を祀ったのが当社であると考えられています。神代や上古において軍事的に活躍した神・人物の子孫である「大伴氏」は物部氏と共に軍事氏族であったとされています。中河内に強力な勢力圏を築いた物部氏と異なり、大伴氏は各地に点々と拠点を持っていたようで、当社や「降幡神社」の他、道臣命が大和国高市郡に宅地を与えられたこと、大伴金村が摂津国住吉に館を持っていたこと、その他多くの地で大伴氏の居住したこと等が史料から確認できます。大友氏の本貫は金村の居館があった摂津国住吉郡だったとも言われていますが、数少ない大伴氏関係の式内社の鎮座する当地は大伴氏にとって極めて重要な拠点の一つだったのでしょう。とあります。