静かな緊張感が漂う、西郷隆盛ゆかりの洞窟。
鹿児島市城山西郷隆盛洞窟の特徴
西南戦争で西郷隆盛が過ごした洞窟です。
官軍最後の総攻撃の舞台となった歴史的な場所です。
静かで緊張感のある雰囲気が漂う洞窟です。
西南戦争で、官軍最後の総攻撃まで西郷隆盛がいた洞窟。城山公園近くの駐車場からすぐの場所にある。西郷隆盛本人は望まなかったと言われている西南戦争。薩摩軍の壊滅により、武士の世は終わり、大日本帝国は富国強兵と進んでいく。この洞窟から出て間もなく、被弾し「もうここらでよか。」という言葉とともに散っていった。
西南の役の最期に西郷さんが過ごしたと言われる洞窟。教え子に命を預け、立ち上がったのはどのような思いからだったのでしょうか。日本がこの戦いを契機に一気に近代化へと突き進むわけですが、西郷さんは敢えて日本の人柱になることを選んだのでしょうか。いずれにしてもこうした先人の苦悩の足跡があってこその今だと思います。こうした場所で先人へ思いを寄せることが自分的にはとてもいいことだと思います。
小さな洞窟でしたが、静かで少し緊張感がありました。回りには古いお土産もの屋さんがあり昔の写真など展示してありました。鹿児島市内は歩けば遺構にあたる感じがしました。フリーパスの乗り物のチケット買って回ると良いと思います。ガイドブックに乗ってない小さな歴史も感じられます。
名前 |
鹿児島市城山西郷隆盛洞窟 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
周辺のオススメ

明治10年(1877年)年2月、西南戦争において鹿児島城下を出発した薩軍は、九州各地で転戦したのち、8月に解散。その後西郷隆盛の一行は九州の山間地を越えて鹿児島を目指し、9月1日、再び城下に戻り、城山に立て籠もりました。桐野利秋をはじめ私学校の幹部たちとともに、銃弾に倒れるまでの最期の5日間を過ごしたのがこの洞窟と言われています。西郷隆盛が最後まで薩軍の指揮をとっていた場所として重要な史跡です。周遊バス「カゴシマシティービュー」の停留所にもなっています。