薩摩一宮で感じる神秘の力。
新田神社の特徴
薩摩国一宮の新田神社は、深い歴史が魅力です。
約300段の階段を登ると、神聖な山頂にたどり着きます。
御朱印は直書きで対応、500円でその威厳を感じられます。
深い歴史と由緒ある神社約300段の階段を登った山頂にありますが、社殿の近くまで車でも行くことができます。今回は折角なので歩いて登りました。御神木の大楠は樹齢約650〜800年と推定されかなり大きくて立派な楠ですが、登る途中にも太くて堂々とした楠があり森の中から溢れる力を感じる事ができました。パワースポットとしても有名な神社のようです。階段の上り下りでかなりいい運動になりました。社殿は、もともと中腹にありましたが、承安三年(1173)に焼失後、安元二年(1167)に山頂へ遷座され、その後、慶長六〜七年(1601〜1602)、島津義久の命により、現社殿のもとになる改築が行われたとのこと。わかりやすい看板での説明もありました。
薩摩国一宮 新田神社御祭神◆本祀一座天津日高彦火瓊瓊杵尊(あまつひだかひこほのににぎのみこと)◆配祀二座天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)◆神統譜天照大神-天忍穂耳尊-瓊瓊杵尊-彦火火出見尊―鸕鷀草葺不合尊-神武天皇御神徳開運招福五穀豊穣安産守護交通安全御朱印直書き対応くださいます500円。
薩摩一宮と称される歴史的かつパワースポット神社です。大国主の木像が彫られた樹齢800年の大楠に守られ、神亀山の山頂の可愛山陵に瓊瓊杵尊が祀られてます。神武天皇の曽祖父ですので、もちろん宮内庁管轄。可愛山陵を守護する形で山頂に鎮座する新田神社ですが、創建725年:社殿は山中腹にあった様です。1173年: 社殿焼失、1176年: 山頂へ社殿遷座1601年: 改築はあの島津氏です。社殿も大楠も指定文化財という折り紙付き。社殿を守る狛犬は子供を抱いた珍しい物。一見の価値あり。境内には生きた狛犬?ならぬ 猫たちが参拝者を出迎えてくれます。
2024.5.4 奉拝薩摩國の一宮の一つになります。川内側沿いの格安ホテルで一泊。朝食は計画どーりにはいかず、3号線のマックで済ませ、そこからほんの少し北上して、新田神社へ。ところが、ナビの設定が上手くいかなかったのか?新田神社の参道がみつからずウロウロ。適当に車を走らせたら、なんでここがわからなかったのだろうというくらい、どれだけ信仰を集めたんだろうか?とかんじさせる長〜い参道があり、そこからこれまた長〜い階段の参道が始まる場所へ到着。ん〜車でも登っていけそうだし、ここは勘弁してもらって、行ける所まで車を使わせてもらい、結局境内に最も近い駐車場まで行っちゃいました。最後の階段だけは自力で登ろうとすると、大きな樟があり、気が溢れだしてるのを感じ、うわぁこりゃぁ凄い神社が待ってるぞって思わせてくれます。境内前のご説明立て札を見ると〜主祭神は、天津日高彦火邇邇杵尊(あまつひだかひこほのににぎのみこと)で漢字で書くと、ん?となりますが、ニニギノミコトのことです。そして配祀神は2柱、天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)とその息子にあたる正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)とありました。どうも石清水八幡宮から八幡五所別宮として勧進された経緯もあるらしいけど、そこはまぁおいといて、社殿の背景にある陵墓がニニギノミコトの陵墓とされる可愛山陵であると治定されてることで、こちらにロマンを馳せましょうね。境内は山の上なので、勅使殿までの距離がなくせまった感じに思えますが、社殿の後ろは抜けた空があるのは素晴らしいです。また西回廊、東回廊、舞殿と実際に中に入って見学できるのも、一宮巡奉者にとっては感激ものです。社務所で手書きの御朱印と素敵なイラストを頂き、勅使殿前で記念撮影。パワーみなぎる私達の好きな一宮でした。
名前 |
新田神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0996-22-4722 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.4 |
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御祭神、瓊瓊杵尊、階段をたくさんのぼります。駐車場は社近くと中腹にあります。裏には陵墓もあるので是非参拝してください。下から登るのは大変でした。