飯野城跡への近道、アクセス抜群!
飯野城跡の特徴
飯野城跡は1160年に日下部重貞によって築城されました。
大手門跡を過ぎた後、坂を登るとアクセス良好な駐車場があります。
えびの市原田に位置する歴史的な城跡で、訪れる価値があります。
大手門跡すぎ、坂を登ったところに駐車でき、アクセスしやすいです。主要な曲輪は1、2、3郭と並列してあり、いずれも急斜面の切岸となっています。3郭は藪化してます。西に坂道を登ると広く削平された1郭があります。南側に物見台のある4郭があります。霧島連山が眺望できます。駐車場の東に分け入って行くと、2郭南に取り付けます。2郭自体は藪化してますが、南側の切り岸と、祠のある曲輪が見られます。
飯野城跡は、永暦元年(1160)に当時の領主であった、日下部 重貞が築城。永禄7年から26年間、島津家「第17代」島津 義弘が居城しておりました。私にとって、この飯野城跡「亀城(キジョウ)公園」は、大切な場所です。🌸桜🌸の咲く頃に、毎年行きます。町が一望できる場所です。心が晴れ晴れしますよー!☺️💕
名前 |
飯野城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0984-35-3719 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
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薩摩・大隅・日向の旅もいよいよ最終日、5日目となりました。名残惜しくなってきました。今日はいつもより早く起きて早く宿を出ました。まず、最初の目的地、飯野城跡を目指しました。ホテルは飯野にとっていたので、車で5,6分程度でした。城跡に向かう道は細道で途中途中に古びた案内版等があり、なかなか趣がありました。大手門(冠木門)を潜り真っすぐ行くと駐車場があります。駐車場の入り口付近から、本丸、二の丸、三の丸への道が続きます。二の丸・三の丸への道は草木で塞がっていたので、本丸へ向かいました。本丸はかなり広く、草木もある程度刈り取ってあり、早朝のすがすがしい感じがしました。また、説明版や城址碑がありました。城址碑には「亀城址」と刻まれています。因みに「かめじょうし」と読むのかとかと思っていたら「きじょうし」と読むそうです。本丸は急な崖に囲まれていて要害です。本丸の西の端の虎口から物見曲輪へ行けます。そこは物見曲輪だけあって眺めは抜群でした。どういう訳か東屋に梯子が立て掛けてあったので、それを登って更に眺めを堪能しました。天気も良かったので霧島連山を良く望めました。さて、飯野城(亀城)は、島津貴久の二男義弘(忠平→義珍→義弘と改名)が伊東氏からの侵略に対抗するために、1564(永禄7)年北原氏に替わり入城した城です。1572(元亀3)年伊東祐保・祐信(義祐は出陣していない)等の伊東軍が真幸院に侵攻し、まず加久藤城(義弘が妻の広瀬の方や長男の鶴寿丸を避難?させた城)の攻略を図った時、義弘はここから小勢であるが救援隊を出しそれを防ぎ、最終的に木崎原の戦いで圧倒的大勢の伊東軍を撃破し勝利しています。義弘はこの後も飯野城を本拠として九州各地の戦で活躍しました。そして島津の九州制覇もあと少しというところまで行きましたが、1587(天正15)年の秀吉の九州征伐では敗れてしまい、1590(天正18)年6月には栗野の松尾城へ退きました。