伊達忠宗公の霊屋、紫陽花の美。
感仙殿(二代忠宗公廟)の特徴
伊達忠宗公の霊屋で、歴史の息吹を感じる場所です。
鮮やかな紫陽花が咲く、趣ある木々に囲まれた空間です。
瑞鳳殿に似た美しい建物が、凛とした空気を漂わせています。
仙台藩二代目藩主忠宗公の霊廟。名君との誉れ高い藩主。瑞鳳殿とともに国宝に指定されていましたが太平洋戦争で焼失してしまい、1985年に復元されたものです。三代藩主綱宗公の霊廟、善応殿が並んで建っています。瑞鳳殿経由でなくて直で石段を登ってくると来ると拝観料はいらないようですが、感仙殿入口に瑞鳳殿の観覧券をお持ちの方は観覧できます、との表示がありました。
仙台藩2代藩主・伊達忠宗(慶長4[1599]年 - 万治元[1658]年)の霊屋(たまや/死者の霊魂を祀ってあるお堂)になります。寛文4(1664)年に4代藩主・伊達綱村(万治2[1659]年 - 享保4[1719]年)によって建立されました。瑞鳳殿と同様に本殿、唐門、拝殿、御供所などの建築からなる華麗なものでしたが、明治初(1868)年に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく/仏教を排除しようとする運動で、多数の寺院や仏像が破壊された)の影響を受け、本殿以外は取り壊されました。昭和6(1931)年に瑞鳳殿と共に国宝に指定されましたが、昭和20(1945)年の戦災で本殿も焼失しました。現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、昭和60(1985)年に完成したものになります。
7月中旬に来訪紫陽花が綺麗でした。
参拝には瑞鳳殿の券が必要です。
2代目藩主伊達忠宗の霊屋。1931年に国宝に指定されたが1945年に戦火で焼失し、1985年に再建された。
2015年7月訪問。瑞宝寺、瑞鳳殿ときてこちらの感仙殿に至る。
豪華で綺麗です。
仙台二代藩主 伊達忠宗(ただむね)公(1599〜1658)の霊屋(たまや)「感仙殿(かんせんでん)」伊達忠宗は、慶長(けいちょう)4(1599)年大阪に生まれ、寛永(かんえい)13(1636)年、父 政宗の死去により38歳で二代藩主となります。忠宗は錬成(れんせい)された人格と法治主義(ほうちしゅぎ)により、仙台藩の実質的な基礎を確立しました。万治(まんじ)元(1658)年7月12日、60歳で仙台城にて没し、この経ヶ峯(きょうがみね)の地に埋葬(まいそう)されました。霊屋(たまや) 感仙殿(かんせんでん)は、寛文4(1664)年 四代綱村(つなむら)の時代に竣工(しゅんこう)しました。感仙殿は昭和6(1931)年に政宗公の霊屋 瑞鳳殿(ずいほうでん)と共に国宝に指定されましたが、昭和20(1945)年の戦災により焼失し、昭和60(1985)年に再建されました。本殿左右の宝形印塔(ほうぎょういんとう)は、忠宗に殉死(じゅんし)した家臣12名、陪臣(ばいしん)4名の供養塔(くようとう)となっています。と、立看板に書かれてあります✏️仙台観光シティループバス🚌「るーぷる仙台」で「瑞鳳殿前(ずいほうでんまえ)」バス停(仙台から約13分)下車、案内板に従って坂を登り、更に階段を上がると、観覧入口(チケット購入:大人¥570)→涅槃門(ねはんもん)→瑞鳳殿(ずいほうでん)→資料館→戊辰戦争弔魂碑(ぼしんせんそうちょうこんひ)と順路通りに見学すると、次に「感仙殿」が現れます。感仙殿の並びには三代藩主 伊達綱宗(つなむね)公の霊屋「善応殿(ぜんのうでん)」があります❗️政宗公の瑞鳳殿、忠宗公の感仙殿、綱宗公の善応殿、どの廟屋(びょうおく)も、他の戦国大名と比べてとても豪華な廟屋だな〜と思いました❗️✨
伊達忠宗が眠ってます。感仙殿も瑞鳳殿同様に豪華絢爛な建築です。
名前 |
感仙殿(二代忠宗公廟) |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
022-262-6250 |
住所 |
|
HP | |
評価 |
4.3 |
周辺のオススメ

仙台藩の二代目藩主、伊達忠宗の霊屋です。昭和20年の戦災で、元々の本殿も焼失したそうです。現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて、昭和60年に再建されたそうです。