令和の最強、都於郡城跡探訪。
都於郡城跡の特徴
室町時代に築かれた土塁が残っている歴史的な場所です。
伊東四十八城の1つとして重要な拠点だったことがわかります。
伊東満所像が設置されている特別な見どころがあります。
城趾のほぼ全容が見てまわれる切岸、竪堀、土塁、曲輪、スケールの大きな土の城の往時をしっかりイメージできる全部周るには2〜3時間見ておくべき。11月に行ったらしっかり草刈りされていました。
戦国大名・伊東氏の居城でした。城はそれぞれの区画ごとに設けられた堀が深く、階段の斜面も急で防御が強そうに感じました。また、歴史の教科書に載っている天正遣欧少年使節の伊東マンショは、この伊東氏の一族でマンショの銅像が設置されています。2026/1/4
思ってたよりも、かなり大規模な城址でした。空堀跡も凄く高さがあって圧巻でした。一見の価値有り。
NHK地上最強の城でやっていた、百名城でも続百名城でもないお城。それだけに個性溢れる。こんな高い土の堀切は見たことがない。これは確かに登れんわ。
都於郡城は国の史跡に指定されている。都於郡城は南九州型の城郭の中でも最高峰ではないかと思う。都於郡城がなぜ日本百名城や続百名城に認定されていないのか疑問である。五城郭と呼ばれる五つの曲輪が中心となった構造で各郭間は深い空堀で隔てられている。シラス台地を削ったその空堀の高さは圧巻である。また、各郭の切岸はとても鋭く郭の高さも見事である。その姿はこの城の別名「浮舟城」にふさわしい。また整備も行き届いており、訪問したのが冬場だったこともあって草木が綺麗に刈られていて城の隅々まで気持ちよく見学できた。都於郡城は戦国時代に日向の戦国大名だった伊東氏の本城である。整備されていないが都於郡城の周辺には多くの支城や出城がある。伊東氏は南北朝時代に足利尊氏の命で日向に下向した。戦国時代には薩摩の島津氏と激しく争い、全盛期には日向の国の大半を支配した。しかし、1577年に島津氏に敗れ都於郡城も奪われた。日向を落ち延びた伊東氏だったが、後に豊臣秀吉の九州攻めに加わり復権。江戸時代には飫肥藩藩主となり明治維新まで生きながらえたしぶとい一族であった。都於郡城は1615年の一国一城令で廃城となっている。都於郡城は素晴らしい城であるが、城主が戦国大名の中ではマイナーな伊東氏ということもあってか知名度は高くない。訪問日も晴れた土曜日の正午頃だったにも関わらず、誰もいなかった。この素晴らしい城をひとり占めできたのは良かったが、もっと多くの人に知ってもらいたいものである。
伊東四十八城の1つで、佐土原城と並ぶ重要な拠点として機能していたといわれています。城内には5つの曲輪があり、五城郭と呼ばれ極めて規模の広大な城だったことは実際に歩いてみて分かりました。伊東家が島津家との争いに敗れた後は、島津家当主・義久が城内に入り島津家にとっても重要拠点となります。ちなみに天正遣欧使節の1人、伊東マンショはこの城で生まれており(母が伊東家の最盛期を築いた伊東義祐の娘)誕生碑と慰霊碑と銅像が建てられています。
室町時代に築かれた城跡のため、石垣はありませんが、立派な土塁が残っています。複数の曲輪がある大規模な城跡で、国指定史跡です。きれいに整備されており、もっと広く知られて良い場所だと思いました。
24時間無料の広めと狭めの駐車場があります。駐車場から歩2分で本丸へ上がれます。スニーカーでもOK。駐車場近くに本丸と二の丸の矢印がありますが、本丸から堀を下りて、二の丸、三の丸、他曲輪へ行った方が楽しいです。雨でも行けます。曲輪の集合体構造なので堀が深い。くびれも良い。曲線も鋭角もある。土塁も分かりやすく視覚でも充分体感できます。全国の城跡でもトップクラスの楽しさでした。
廻城跡から日向都於郡城跡へ向かい、大隅ともお別れしました。車で2時間位掛けて都於郡城の駐車場へ着きました。駐車場はかなり大きく分かり易いところにあります。都於郡城は5つの曲輪からなり、それぞれの曲輪はかなり広いです。本丸はある程度整備されていましたが、他の曲輪はかなり草ぼうぼうでした。しかし、城全体としての威容は感じられ、城跡としては巡り甲斐があります。本丸には伊東満所(まんしょ)の像や誕生之地碑等もあります。また、近くの大安寺の裏手には伊東氏歴代墓所があります。都於郡城は伊東氏代々の本拠城ですが、第10代当主の伊東義祐は近くの佐土原城を居城とし、都於郡城には子の義益が入っていたようです。1572(元亀3)年飯野の木崎原の戦いで伊東氏は島津忠平(義弘)らに大敗し、それ以後急激に勢力を失い 1577(天正5)年伊東氏一族は、ここの奥ノ城(曲輪)から、豊後の大友氏(宗麟)を頼って落ちのびたようです。伊東氏が去った後には、島津の武将鎌田政近が入城し、翌年には大友氏との高城合戦が始まります。尚、日向の伊東氏は、鎌倉時代初期に起こった曽我兄弟の仇討で討ち果たされた工藤(伊東)祐経の子孫であることに興味が惹かれます。
| 名前 |
都於郡城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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パンフレットによると令和5年の「最強の城」に選ばれたそうですが、五城郭や曲輪群、その間の深く広い空堀には驚きました。薩摩の島津氏に破れ、伊東氏が大友氏に身を寄せる豊後落ちまでの240余年、宮崎県の全域を治め、代々命懸けで鍛え上げられてきた見事な城趾です。七月はじめに訪問しましたが、空堀や曲輪の斜面の草刈りの作業中で、よく整備され歩きやすく地元の方々が長く大切にしてきたことが伺えます。