心休まる多賀神社で御利益を。
多賀神社の特徴
日本で最も古いと言われる多賀神社で、由緒正しい伝説が息づいています。
300円で御朱印を宮司宅からいただける、魅力的な宝物があります。
地元の通学路に佇む神社で、地域wideのお祭りにも参加できる特別な場所です。
どんと祭で行きました。ほとんど、地元民が集まる所です。昔はお神酒とか振る舞いあったのですがこのご時世なので今は無いのかな。小さい神社ですが昔ながらの屋台は沢山出ています。
陸奥国名取郡 延喜式内 多加神社(論)です。高柳の多賀神社と式内社で争い、それぞれが東西の多賀神社となった経緯があり西多賀の地名の由来の神社です。拝殿前にはタガが置かれていました。風化しかけの狛犬の佇まいが良かったです。
御朱印は、道路向かいの宮司宅で書き置きをいただけるようです300円。
住宅街にある神社です。鳥居向かいの宮司様宅で書き置きの御朱印を頂きました。
我が家の氏神様。毎年元旦にお参りに行きます。決して大きくはない神社ですが、地元の方々で元旦はいつも長蛇の列を作ります。家族でお参りし、御札を購入、子供たちはお決まりのおみくじ。受験である長男が『凶』を引き、「受験:今は叶わず」と書かれたのを見て、みんなで大爆笑しました笑でも大丈夫。氏神様がちゃんと見守ってくれるはずと励ましておきました笑。
西暦110年くらいの大和武尊が創建したとかの伝説が残るとても古い神社。1月のどんと祭、5月のお祭りもいいですが、秋の景色もなかなか良いところです。
大好きな神社です!落ち葉で♡と花の模様が書いてあってほっこりしました^ ^
昔ながらの由緒ある神社。一回は行って見る価値有り、舞台も有ります。
太白区富沢の神社です。仙台市内では最も歴史のある神社との事で、境内の案内板によると創建されたのが西暦111年という延喜式内社です。ヤマトタケルが勧進したと伝えられており、古来より地域の領主、武将より崇敬を受けてきた…との事です。この周辺では『お多賀さん』と呼ばれ、慕われてきた神社との事ですが、緑に囲まれた落ち着ける神社です。
| 名前 |
多賀神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
022-245-8199 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP |
https://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310010026 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
多賀神社(たがじんじゃ)。宮城県仙台市太白区富沢。式内社(小)論社、旧村社。【祭神】伊弉諾尊 伊弉冉尊 (配祀)天之児屋根命 高おかみ神資料によると、周辺には富沢遺跡・大野田遺跡などの縄文時代の遺跡や大野田古墳群、郡山遺跡があるなど、歴史的にも重要な地域だった。当社は市内で最古の神社であり、社伝によれば、第12代景行天皇40年に日本武尊が東征の際に勧請したという。伊弉諾尊を主祭神として祀る。第21代雄略天皇2年(458年)には圭田58束を賜り、神礼祭式を行ったと伝わる。往古は「大鷹宮」と呼ばれていたという。境内由緒書によると、この地方の守護神として領主や武将から篤く崇敬されたという。第70代後冷泉天皇の御代には、鎮守府将軍である源義家が東征の折に名取川を渡り、当社に参拝し、武運長久を祈願し、自筆の物を奉納したという。その後も歴代仙台藩主から崇敬され、仙台藩7代藩主伊達重村の寄進を受け、安永4年(1775年)に社殿の普請が行われた。角田城主であった石川宗光からも「多賀神社伊弉諾尊」の神号献上を受け、仙台藩の国学者安田光則は由緒記を石に刻み境内に建碑した。明治5年(1872年)4月に村社に列した。明治22年(1889年)に、現在の名取市高柳にある同名神社との間で、式内比定論争が起きた。その際は、当社が式内社と認定され、名取市高柳の多賀神社は社領のあった地とされた。ただし、近代社格では、当社が村社に対して、高柳は郷社。明治42年(1909年)には大野田地区の春日神社(天児屋命)と東大野田地区の寶龍神社(高龗神)を合祀した。その後、大正8年(1919年)8月には幣帛供進社に指定された。社殿として、拝殿・幣殿・春日造の本殿があり、境内には他に、石碑や石祠、箍納め所、御神木の柏の木、神楽殿、社務所がある。とあります。