紅葉舞う武田の虎口、歴史を感じる。
躑躅ヶ崎館 西曲輪北側枡形虎口跡の特徴
武田信玄公にまつわる歴史的な魅力を感じられる場所です。
西曲輪にある城跡の雰囲気が色濃く残っています。
美しい紅葉が舞い落ちる桝形土塁の景色は圧巻です。
2024年6月10日 当時を想像すると楽しいですね。
武田神社はかつて、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)と呼ばれ、戦国末期の武田信虎公、信玄公、勝頼公が居を構えていた場所でした。「館」とはいうものの、実際にご覧いただければわかるように、凄まじく深い堀、長大な土塀など、城郭と申し上げて良い施設でした。この躑躅ヶ崎館 西曲輪北側桝形虎口跡も、城郭の性格が色濃くでている箇所です。まず、深い堀にかかっている土橋(どばし)です。土橋とは、文字通り土の橋でして、行き来できる兵を少なくすることで、防衛しやすくする仕組みです。また、木の橋と異なって、敵方から破壊される、というおそれも少ないため、敵中に孤立する危険を減らすことができます。この土橋を躑躅ヶ崎館の外側から内側に向けて歩いてみてください。虎口(こぐち)の入り口と出口が意図的にずらしてあります。現代のように、偵察衛星やドローンなどが無い時代です。土塀で内部を見えなくすることで、どこにどのくらいの城兵、防御施設があるかを敵方に悟らせないことが重要なのです。この入り口と出口のズレも、内部を見えにくくするための工夫です。また、虎口の内部は微妙に盛り上がっておりまして、この点も内部の見通しを阻害する効果があります。さらに、うおーーーーっと突撃していた敵兵の方向を変えさせることで、進撃速度を鈍らせる、という効果もあります。虎口は四方に土塀で囲まれ、矢玉を周囲から射掛けられるようにしてあります。現代では土塀には木が生え、角が取れて、まあるくなっておりますが、戦国時代のころはつるつるに固められていたと思われます。なぜならば、敵兵が取り付くことができないように、つるーんと滑るようにしてあるのです。数十kgにも及ぶ武具を装備して、このようなつるつる斜面を登ることなどできず、土塀、土の堀というのは、現代の私たちが思っているよりも、遥かに防御力の高い施設であったのです。お話がそれましたが、この虎口は武田神社でもっとも戦闘的、見どころであると絶賛致します。
館跡と言うより砦跡であることを物語る遺構。
2022年時点でも、コツコツと発掘&復元工事が進んでいる武田家の屋敷跡。本来の姿が復元されると、新たな発見があるかもしれない。戦国時代に最強と言われた武人の名残を体感できる場所。
当時の面影が残る1番見ておくと良い場所です。
トイレから右手に歩いていったら、土塁がありました。歴史が感じられます。
雨の中、桝形土塁の紅葉の葉が降り注いで、なんとも言えない美しさでした。
武田の桝形虎口♪これぞお宝!♪ヽ(´▽`)/
武田氏館があったところですか❓甲斐の武田氏のことは全く知らないですが武田信玄公のことはほんの少し分かります。
| 名前 |
躑躅ヶ崎館 西曲輪北側枡形虎口跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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西曲輪の北側枡形虎口は門の石垣が残っている。ここから先は現在整備中の北曲輪に繋がっている。