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名前 |
桐山丹波守墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
桐山信行(のぶゆき/のぶつら)。通称・孫兵衛、別名を丹斎(あきとき)と名乗った。官位は大炊助、丹波守。黒田家中の選り抜きの精鋭・黒田二十四騎に名を連ねている。文禄・慶長の役で武勲を立てたが、その際豊臣秀吉から褒美として与えられた具足が福岡市博物館に収蔵されている。兜は頭立に瓢箪、脇立に蟹の爪があしらわれた意匠。なお、8領程度しか現存していない黒田二十四騎の具足の一つである。宿場町・山家(やまえ)村の初代代官を務め、交通の難所・水分峠を開通させた功績がある。同じく二十四騎の母里太兵衛友信とは合戦時のいさかいが原因で、不仲だった。上記の水分峠開削の工事の折、周囲が二人の対立を仲裁しようとしたが応じず、折れようとしない母里の頭を栗山備後守利安が思い切り一撃。母里はしばらく思案した後、自らの非を認め脇差を桐山に与えている。その後、桐山は母里の娘を正室として迎えている。