允恭天皇陵で楽しむ古墳散策。
市野山古墳(允恭天皇惠我長野北陵)の特徴
允恭天皇惠我長野北陵は規模が全国20位の大型古墳です。
古市古墳群に属し、前方後円墳として知られています。
被葬者は第19代・允恭天皇と伝えられている歴史的なスポットです。
允恭天皇惠我長野北陵(いんぎょうてんのうえがのながののきたのみささぎ)と読みます。第19代允恭天皇の墓であり、市野山古墳という前方後円墳(墳丘長230m⦅全国19位⦆、後円部直径140m、前方部幅160m)でもあります。かつては堤と二重目の堀も持っていました。允恭天皇(?〜453、享年不明)は仁徳天皇の息子であり、兄は履中天皇(第17代)と反正天皇(第18代)、木梨軽皇子(きなしかるのみこ)です。日本書紀には允恭天皇についてあまり詳しくしるされておらず、兄の木梨軽皇子の話などが詳しく記されているようです。天皇陵としては拝所もしっかりしていますが、拝所までの参拝路に並ぶ生垣が所々空いてしまっていて、かつ濠には水がないので知らない人は簡単に入っちゃえます。そこをもうちょっとしっかり管理してほしいですかね。
大きな前方後円墳ですが応神天皇皇后陵の方が大きいかも?駅前の交差点を北え向かった所に参道入り口が有ります!
モナリザより美しい。日本で19位の大きさの古墳。
おっきい。古市古墳群の北端、5世紀後半に築造されたと思われる前方後円墳。濠はありますが、水が溜まっているわけではないです。拝礼所は、前方部中央にありますが、入り口は旧170号前方部東角です。案内板は、大和高田線側、後円部の濠の外、中央点にあります。
允恭天皇陵。応神天皇陵も近くにあります。礼拝所は民家の間にありました。
被葬者:第19代・允恭天皇実際の被葬者は明らかにされていませんが、第19代・允恭天皇の陵と伝えられています。出土した埴輪などから、築造年代は5世紀後半と推定されています。拝:2020/07/07
允恭天皇陵として宮内庁の管理となっています。拝所の真裏側に行政の取り付けた案内板があります。一周して大きさを実感するにはちょうどいいサイズですよ。拝所入口が古市古墳群一わかりにくかったです。拝所正面一帯住宅街ですので、西側に入口があると気付くまでにかなりの時間を費やしました。
初めて古墳を生で見ましたが、中には入れないのですね。森の周りのフェンス沿いをただ歩くだけという感じでした。
宮内庁により允恭(いんぎょう)天皇陵と定められていますが、はっきりとは分かっていません。允恭天皇は第19代天皇であり、古代中国の歴史書「宋書」に登場する「倭の五王」の内、「済」にあたります。土師ノ里駅の北側、府道の北に案内板がありますが、宮内庁拝所は北側の離れたところにあるので注意。
名前 |
市野山古墳(允恭天皇惠我長野北陵) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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バイクで道に迷い、自分の居場所検索のためここの古墳に来ました。古墳は好きですがそこまで、マニアではありませんが、空堀で形が綺麗に残っていると思いました。