雪とのコントラスト、大野城跡散策!
大野城跡の特徴
大野城跡は全長約8kmの古代山城跡です。
日本100名城のスタンプは管理事務所に設置されています。
四王寺山でお気に入りの飲み物を楽しむことができます。
古代山城でとにかく広すぎて遺構を巡るのに1日はかかりそうな広大な縄張り。岩屋城登城のついでに寄りましたがあちこちに散らばった復元遺構を見るには時間がかかるので大宰府口城門跡近辺を散策しました。車で上がれて駐車場も完備。立派に復元された石垣と巨大な復元土塁だけでも迫力がありました♪
2026.5.16日本百名城の1つ、大野城跡へ大宰府を守るための山城です。10:30県民の森駐車場(無料)をスタート、散策ルートは、1) 県民の森センター駐車場2) 村上礎石群3) 主城原礎石群4) 北石垣(封鎖中?)5) 小石垣6) 鮎返りの滝7) 百間石垣(車でもアクセス可)8) 毘沙門堂9) 大城山(景色最高)10) 野外音楽堂11) 八ッ波礎石群12) 増長天礎石群13) 鏡ヶ池14) 大石垣15) 県民の森センター駐車場14:30到着約4時間、ゆっくりペースで歴史・自然を楽しみました。大満足です。遊歩道はきれいに整備されていますが、登山靴の方が安全・安心に散策できます。
大野城は国の特別史跡に指定されており、日本百名城にも認定されている。大野城は古代山城のひとつで文献に名前を確認できる朝鮮式山城のひとつである。当時、白村江の戦いで敗れた大和朝廷は大陸からの侵攻を警戒し、九州北部から瀬戸内、畿内にかけて多くの山城を築いた。そこには滅亡し、日本に亡命して百済人の技術が用いられている。大野城は近くの太宰府政庁を守る目的で築かれたと思われる。その時代に築かれた古代山城の中で文献で名前が確認できる城を朝鮮式山城、文献に記載がないものを神籠石系山城と呼んでいる。大野城の城域は大変広大である。標高410mの四王子山山頂を中心に築かれている。城域を土塁や石塁で囲っているが、その距離実に6.8kmもあるという。現在もその範囲内に石垣、土塁、門跡、礎石群などの数々の遺構が点在している。全ての遺構を見学するには丸一日必要であろう。駐車場が2箇所あるので、そこに車を停め、周辺の遺構を見学するのが最も効率的だと思う。大野城は規模、遺構の状態から朝鮮式山城の中で最優先で見学すべき城である。同じく百名城に認定されている神籠石系山城の代表である岡山県の鬼ノ城と双璧であろう。いずれも1300年の時の経過に耐え、これほどの遺構が残っていることに驚かされる。
県民の森センターで100名城スタンプを押したあと、四天王寺の遺構を見学てきましたが、時間の関係で城の遺構は見る事ができませんでした。今度は時間に余裕を持たせて訪れたいと思います。
大寒波が抜け、まだ寒さと雪が残る休日に訪れました四王寺山一帯に造られた古代の朝鮮式山城歴史的には白村江の戦いで大敗後に防衛のために、水城や基肄城と共に築かれた大規模な古代山城駐車場も数台分あり、案内板が至る所に設置されています雪の影響で一部しか散策できませんでしたが、この時期限定の雪とのコントラストが最高!!眼下には大宰府の街並みも広がり、古代防衛の雰囲気を感じることができます大宰府の影に隠れている感が否めませんが、こんなに広大で立派な遺跡群はもっとアピールしていいと思いますハイキングシーズンには歴史的遺構を巡るのもいいですね。
太宰府天満宮から車で15分、山道をクネクネ上がって行きます。標高410m・四王寺山(大城山)に築かれた日本古代山城(朝鮮式山城)です。写真は四王寺焼米ヶ原駐車場からすぐの眺めです。沖縄の今帰仁城跡のように稜線に沿って石壁があって歩けます。太宰府が一望でき晴れていれば遠く玄界灘も望めます。空に向かって伸びる道のようで眺めがとても良いです。飛鳥時代の城跡なので御城印はありません。スタンプなら福岡県立四王寺県民の森センターで押すことが出来ます。
大野城跡は、福岡県宇美町・太宰府市・大野城市にまたがる標高410mの四王寺山にある全長約8kmに及ぶ広大な日本最古の古代山城の跡です。日本百名城のひとつです。660年、新羅は中国を統一した唐の援助を受けて百済に攻め入り、百済は滅亡してしまいます。百済の遺臣は、大和朝廷に救援を求め、大和朝廷はそれに応じ、663年、百済を救援するため、朝鮮半島に出兵し「白村江の戦い」が起こります。しかし、唐・新羅連合軍に敗れてしまい、連合軍の日本侵攻が想定されたため、664年に大宰府政庁(九州の政治拠点)を防衛するための水城跡を造り、その後、665年に大野城が築城されました。城といっても、近世の天守閣などがあるお城や中世の山城と違い、土塁(城壁)と石垣で山を囲んだ古代の山城です。土塁と石垣で囲まれた城内には、建物跡(役所的機能をもつ建物や食糧庫・武器庫など)、城門、水場(井戸・池)、水門などが造られています。土塁というのは、敵の侵入に備えた土でできた壁のことです。質の違う土を数cmごとに積んでは叩きしめるという工法で巨大な土塁を造っています。このような工法を「版築)」といいます。土塁は四王寺山の尾根をとり巻く様に造られています。谷間など、宇美町側と太宰府市側は、二重の土塁が設けられています。これら土塁と石垣の総延長は、約8kmにも及ぶ長大なものです。尾根は土塁で防御していますが、谷部など大雨で土塁が崩壊する可能性がある箇所では石垣を造っています。石垣は現在、5箇所見つかっています(百間石垣・大石垣・北石垣・小石垣・水ノ手口石垣)。なかでも、宇美町側から県民の森センターに向かう途中の右側にある百間石垣は、全長約180mにも及ぶ立派な石垣です。城には、必ず出入口が必要です。現在、8箇所で城門跡が発見されています(宇美口城門・太宰府口城門・坂本口城門・水城口城門・原口城門・北石垣口城門・小石垣口城門・観世音寺口城門)。平成19年度の北石垣口城門の発掘調査では「鉄製軸受金具」が発見されました。城の中には、多くの建物があったと推定できる礎石建物跡が70棟以上見つかっています(主城原礎石群・村上礎石群・尾花礎石群・増長天礎石群・猫坂礎石群・広目天礎石群・八ツ並礎石群・御殿場礎石群)。尾花礎石群のそばに焼米ヶ原と呼ばれている場所があり、そこでは炭化した当時のお米を拾うことができることから、多くは食糧保管庫であったと考えられています。大規模な土木工事によって造られた大野城でしたが、半島から連合軍が攻めてくることはありませんでした。ところが、その後、新羅が日本を呪って祈祷しているという噂が広まったため、774年、大野城跡に四天王寺(四王寺)というお寺が建てられます。現在、四王寺山という名前で呼ばれている由来は、奈良時代に建てられたこのお寺と考えられます。現在、四王寺山には、四天王である「毘沙門天」「広目天」「持国天」「増長天」と呼ばれる地名が残っています。これも四天王寺の名残です。しかし、寺の創建当初の建物跡などは発見されておらず、その実態は謎に包まれたままです。
日本100名城のスタンプは、四王寺県民の森 センター 管理事務所に設置されています。
近所であり、天気のいい暖かい日にはドライブがてら散歩代わりに車で出掛け、アウトドアチェアで寛ぎながらお気に入りの飲み物を片手に思索を巡らせる。大野城と名乗りながら、所在地は大野城市のお隣の宇美町で、しかもそこから見える風景は大野城側ではなく、太宰府市全景という、よく考えてみれば奇妙な場所だ。しかし、盆地である太宰府市から耳納連山までの風景を一望できるこの場所は、気分転換には最高の場所で、現在の自宅に住んでみようかな、と思えたのも、裏庭的なこの山々から拓けた眺望がいつでもすぐに見れるということがあったからだ。10台前後が駐車可能な駐車場やしっかりと清掃が行き届いたトイレまであり、史跡はハイキングコースにはぴったりの散歩道として整備されている。大野城近郊にお住まいの方はぜひ足を運んでみて頂きたい。
| 名前 |
大野城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
092-932-7373 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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車を太宰府口城門跡の上にある🅿に止めて散策した🚶説明板🪧が立ってる門跡♬土塁♬石垣♬礎石♬池跡♪などなど他 広範囲に散らばって遺構が楽しめる👍夏休みに朝早くから登ってくる人が何人も居た😲人気の登山コースでもあるらしい朝鮮式山城の勉強になりました🤠太宰府口城門跡の上🅿標高約330m