臨済宗東福寺派の乳峯禅寺を訪れよう!
乳峯禅寺の特徴
臨済宗東福寺派に属する、歴史ある寺院です。
国道202号線の祇園町交差点の近くに位置しています。
承天寺との関係がある、興味深い背景を持っています。
華厳山 乳峯寺は、国道202号線の祇園町交差点の北東100mほどに伽藍を構える臨済宗東福寺派の寺院です。宝治2年(1248年)大宰少弐の藤原資能が開基檀越となり、那珂郡上白水村(現:春日市)に創建されました。開山は寂庵禅師(承天寺第3世)です。当時の本尊である十一面観世音菩薩は博多七観音の一つとして知られています。明治44年、市内電車(博多電気軌道)が承天寺境内に敷かれたため、承天寺と乳峰寺が南北に分断しました。臨済宗は、その名の通り、会昌の廃仏後、唐末の宗祖臨済義玄(生年不詳 - 867年)に始まります。日本では宋時代の中国に渡り学んだ栄西(1141年 - 1215年)らによって、鎌倉時代以降に日本に伝えられ、様々な流派が成立しました。、鎌倉幕府、室町幕府という時の武家政権との結び付きが強かったのも特徴の1つで、京都五山、鎌倉五山のどちらも全て臨済宗の寺院で占められているほか、室町文化の形成にも多大な影響を与えました。しかしその後、足利氏の権勢とともに臨済宗も衰退していっきました。江戸時代になって、白隠禅師(1686年 - 1769年)によって臨済宗が再建されたため、現在の臨済禅は白隠禅とも言われています。東福寺派は、嘉禎2年(1236年)宋に渡り帰国した円爾(弁円)により京都で始まりました。本山は京都の東福寺です。戦国時代の毛利家の外交僧として活躍した安国寺恵瓊はこの宗派です。
乳峯禅寺、 にゅうほうぜんじ と読みます。ご本尊の十一面観音菩薩は、博多七観音の一つです。1248年に創建されたそうです。
承天寺と市電の線路敷設に伴って分かれたそうです。名前の由来が気になります。
名前 |
乳峯禅寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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臨済宗東福寺派 華厳山 乳峯寺乳峰禅寺と表には書いてあります。