百草園隣の静かなお社。
百草 八幡神社の特徴
京王百草園に隣接し、自然に囲まれた静寂の境内です。
国指定重要文化財の銅造阿弥陀如来坐像が魅力です。
登りがいのある階段を越えた先に、落ち着いた雰囲気が広がります。
百草駅からはかなり距離の登りを覚悟してください。ただ、木立に囲まれた空間は、なかなか快適です。
百草園のすぐお隣にある「百草八幡神社」。境内は大きなシイノキ群が群生し、独特な雰囲気でなんとも不思議な気持ちになります。百草園は梅まつりの最中で賑やかでしたが、こちらはほとんど人がいないので余計にそう感じます。創建年代は不詳で、奥州征伐に向かう源頼義が1062年に再興したとの説もあるとか。境内の一角にひときわ朱色が目立つ奉安庫には、国の指定重要文化財「銅造阿弥陀如来座像」が安置されています。通常は観ることができませんが、年に一度9月の祭礼に合わせて公開されています。
大木に囲まれていて、いい雰囲気。御朱印は、神主に電話をすればいただけるようだ。神社の空気感がとてもいい。百草園の帰りにぜひ訪れたい。
百草園駅から徒歩十数分のところにあり、百草園に隣接しています。1062年源頼義が奥州征伐の折、この地をよぎられ再建されたそうで、大変古い神社のようです。
武蔵國一宮である小野神社の兼務ハ社のうちの一社。御朱印は小野神社で頒布頂きました。駐車場はありません。素敵な境内です。百草園駅からは徒歩だと結構な坂道で大変でした。
ジョギング途中に何度か参拝したことがあるが、今回は久しぶりに、梅の時季の百草園を往訪し、コチラを参拝した。改めて見ると、今まで気づかなかった照葉樹の鎮守の森の緑と、重厚な御社殿(昭和45年竣工)の朱色のコントラストが映えている。手水舎に水がないなど寂然さを感じる中で、境内に聞こえてくる京王百草園の雑踏や、境内で遊ぶ近隣の子供たちの元気な声が、賑やかさとは裏腹にココの寂しさを助長させている。コレからも鎮守の森と共に、静かに優しくこの地を見守る八幡様なのだろう。
小ぢんまりした神社です。創建は天平年間(729~749奈良時代)に道慈により建立されたとか。(伝·確証は無し)「前九年の役」、「後三年の役」の際には源頼義、源義家が必勝祈願をしたとか。戦勝後には伽藍坊門を建立した。また新田義貞の鎌倉攻め「分倍河原の戦い」では寺は焼失したとか。(伝·確証は無し)その後慶長年間(1596~1615安土桃山~江戸初期)に再興されています。百草城跡と百草園とセットで見学すると見応えは増すでしょう。というか…全て同じ敷地内(里山内)に有りますよ。是非に。良い場所です。
近代社格では村社。百草八幡宮とも。多摩市の小野神社の兼務社で、御朱印も小野神社で頂ける。創建年代は不詳。社宝の石造狛犬には奈良時代の天平年間(729年-749年)の刻がある。平安時代の康平5年(1062年)、源頼義が奥州征討の折、山城国の男山八幡宮の霊土を埋め、社を再建して戦勝祈願したとされる。また、奥州平定後に報賽として千手観音像および祭田500石を、津戸明神に武内宿禰の像を寄進したという。鎌倉時代初期の建久3年(1192年)には、源頼朝が武運長久を祈願して太刀一振を奉納したとされる。安土桃山時代の天正元年(1573年)、社殿が造営され、江戸時代初期から前期にかけての慶長15年(1610年)9月、寛永9年(1632年)、寛文6年(1666年)に修築された。境内には奉安殿があり、中には国の重要文化財に指定されている銅造阿弥陀如来坐像一体が収められている。鎌倉時代の建長2年(1250年)、源家の祈祷所だった真慈悲寺の僧・慶祐が造立したといい、同寺が廃絶後は当社の本地仏となった。
百草園の少し先です❗️階段が少市きついけど素敵な神社です‼️
名前 |
百草 八幡神社 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

京王百草園に隣接しています。ひと気もなく、静かで落ち着く雰囲気の神社でした。樹齢200-300年はある立派な椎の木群がひっそりとたたずんていました。見物です。境内の狛犬が、まるで子犬のようなフォルムだったので個人的にはとても可愛らしく感じました。