落川村高札場跡の特徴
名前 |
落川村高札場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
2023年5月にオーナー様からのメッセージがありました。それには、石灯籠は交通安全の為に知人が立てたと連絡がありました。看板裏の石灯籠とこの看板の内容とは関係ないそうです。ご迷惑にならぬよう、紛らわしい写真を削除致します。以下看板の文言です。市指定史跡 落川村制札(一高札)場跡付 制札9枚徳川時代、幕府はそのときどきの諸法度や旋書の趣旨を庶民に徹底させるため、これ を一定の木札(多くは絵の厚板)に箇条書(と書)の上、宿村の社や名屋敷の前など 人目に触れ易い場所に掲示せしめた。この木札を制札又は高札と言い、掲示の場所を制 札場又は高札場と呼んだ。高札の管理や書き替え等は、奉行や代官役所監督のもとに、 代々の村役人がその責を負った。幕府の高札は、明治3年(1870年)廃止されたが、高札場は、明治新政府に引がれ、 明治18年(1885年)頃まで太政官布告の場として使用された。この高札場跡は、元名主屋敷の前、 ノ客渡船場に通じる旧道沿いに在って、玉川店 で囲み土壇の跡を残している。「初札場遺跡の碑」(石柱)は、昭和初年所有管理者 中 村直男氏によって建てられたものである。一この遺跡の傍には、嘉永7年(1854年)名主 中村勘次郎らが寄進した石灯篭(常夜 灯)があったが、風化破損甚だしくなったため、昭和54年同型のものが再建された。昭和55年2月1日]日野市教育委員会。