神社巡りからの必見ビデオ体験!
知覧特攻平和会館の特徴
開館前の外展示や神社巡りが楽しめます。
視聴覚室で上映されるビデオは必見です。
2024年9月末の訪問で期待を超える体験でした。
視聴覚室で30分程上映されるビデオは必見です。国の為とはいえ、特攻隊として命を落とされた若者、飛び立つ前夜に綴った感謝の手紙の数々、胸が痛みます。世界ではまだ紛争がありますが、改めて命の尊さを肌で感じられますので、沢山の方に足を運んで頂きたい場所だと思いました。
2024年9月末に訪問。鹿児島中央駅から鹿児島交通のバスで79分¥1180。入館料は¥500でした。ここは第二次大戦中、日本本土最南端の特攻隊出撃基地があった場所で、将来を担うはずの多くの若者が、帰らぬ旅へ飛び立ってゆきました。館外には隼のレプリカ、T-3初等練習機、復元された三角兵舎、特攻勇士の像「とこしえに」、母の像「やすらかに」、特攻観音などがあります。30分ほどのコースを歩けば油脂庫、弾薬庫、給水塔、防火水槽なども見ることもできます。館内には隼、零戦、疾風、水雷艇震洋、特攻隊員の遺品、遺書などが展示されています。写真撮影可能なのは零戦展示室とロビーのみでした。零戦は甑島沖から引き揚げられたもので、操縦席から後ろがありません。隼は館外の機体同様、「俺は、君のためにこそ死ににいく」で使用されたレプリカ。疾風は実機で、昭和48年時点では飛行可能でした。現在もメンテナンスされていますが、飛行可能かどうかは分からないとのこと。水雷艇震洋は実機と思われますが、展示室の天井改修工事中でよく見られませんでした。遺品は特攻隊員の服や装備、身の回りのもので、当時の隊員たちの姿を思う一助になります。遺書は母親に宛てたもの、両親に宛てたもの、婚約者に宛てたもの、自らを鼓舞するもの、それぞれ当時の男性の抑えた表現ながら、心情がつづられていました。民が無ければ国は無く、若者は将来の国を背負い立つ人。こう考えると若年者の特攻は本末転倒な感がありますが、当時は民より大切な存在がありました。そんな中「自らの死が将来のためになる」と考え、若者たちは何を思い死んでいったのか。展示からはそれらが強く伝わってきます。実存的に死を思うことは、よく生きる上で大切だと思います。よく生きて、よく死んでゆくために、ここを訪れて良かったと思いました。
前から行きたかった所です。日本人の先輩達が必死に日本を護ろうとした姿が涙が出ました。30分動画も観ました。弾丸で行ったのでサラッとになりましたが…今度は【音声ガイド】を借りてしっかりと見たいと思います。
名前 |
知覧特攻平和会館 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0993-83-2525 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.6 |
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開館前に外の展示や神社を回り開館と同時に入場しました。だからあまり人がいなかったので、ゆっくりと展示を拝見させて頂きました。所要時間は外30分ほど中1時間半ほど滞在。それでも遺品の多さにまだまだ拝見できなかったものもあると思います。10時過ぎには修学旅行生の方々など平日でも混雑してきていましたので、早く来訪できる方は朝が良いと思います。人生に迷ったら知覧へ行け、という言葉がありますが、一つ一つの展示は訪れる方一人一人に色々考えさせられると思われます。自分は本物をこの目で見てみたいという思いで訪ねましたが、行って良かったと再訪したい思いです。