応神天皇が見守る、篠崎八幡宮。
篠崎八幡神社の特徴
広い無料駐車場があり、アクセスが便利な神社です。
朱色の立派な建物が印象的で訪れる価値があります。
御朱印は3種類あり、500円で手に入るのが魅力です。
「歴史学・考古学的な事実」と「記録として存在する伝承・信仰の事実」を厳格に区別した上で、篠崎八幡神社と神功皇后、および地名の関係性を再精査して解説します。1. 前提事実:史実としての「神功皇后」の立ち位置まず、最も根源的な事実として、神功皇后(息長帯比売命)の三韓征伐やそれに伴う九州での足跡は、『古事記』『日本書紀』(8世紀成立)における記述が初出であり、同時代(3〜4世紀頃)の一次史料や考古学的遺物によって、皇后が篠崎の地に物理的に滞在したことを裏付ける実証的証拠は現在のところ存在しません。したがって、「神功皇后が篠崎に来た」「石の上に立った」という事象は、実証された史実ではなく、後世に形成された**「伝承」**です。2. 事実の抽出:篠崎八幡神社の「公的記録と物質的証拠」物理的痕跡は未確認ですが、「神社が神功皇后に関する特定の由緒を保持し、それを基に存在し続けてきた」という事は、明確な歴史的事実です。福岡県神社誌や同社の社伝に基づく客観的事実は以下の通りです。創建の記録的基準: 敏達天皇12年(584年)、現在の場所から約1km西にあった「鷹尾山(高尾山)」の麓に、神功皇后、応神天皇、仲哀天皇を祀る祠廟が建てられたのが起源と記録されている事実。由緒の核心(伝承の事実): 「宇美で応神天皇を出産した翌年、長門国(山口県)の豊浦宮へ向かう途中、鷹尾山頂の大石に応神天皇を立たせ、長浜や文字ヶ関(門司)を眺めて『穴門(穴戸)は近し』と言った」という独自のストーリーが由緒として文字化され、公認されている事実。遷座の事実: 嘉祥3年(836年)、現在の宮尾山(北九州市小倉北区篠崎1丁目)に遷座した事実。「力石」の現存: 伝承において応神天皇が立ったとされる「大石(力石)」が、現在の境内に物理的な対象物として移設・保存され、信仰の対象となっている事実。3. 事実の抽出:地名との連関性北九州地域における神功皇后にまつわる地名は、「本当に皇后が命名したか」は実証不可能ですが、「皇后の伝説を由来とする地名が古くから定着している」という地政学的な事実が存在します。篠崎周辺における連関は以下の通りです。近見(ちかみ): 篠崎八幡神社の元宮があった鷹尾山は、かつて「近見」と呼ばれていました。これは神功皇后が「穴門は近しと見た」ことに由来すると『福岡県神社誌』等の記録に残されています。到津(いとうづ): 小倉北区。神功皇后が新羅渡航から帰還した際、ここに船を着けた(到る津)という由来を持つ地名が定着している事実。地理的に海から陸(鷹尾山方面)へ向かう論理的な位置にあります。宇美(うみ): 福岡県糟屋郡。篠崎神社の由緒の起点となる「応神天皇を産んだ(産み)」とされる地名が実在し、篠崎への移動ルートの前提として機能している事実。4. 結論:事実から導き出される「両者の関係性の本質」憶測を排し、これらの事実のみを統合すると、篠崎八幡神社と神功皇后の関係性は、個人的な訪問の証明ではなく、**「大和朝廷の権威(記紀神話)と、九州特有の八幡信仰(応神天皇・神功皇后への崇敬)を結びつけるための、極めて重要な宗教的・地政学的な拠点」**であったという事実に帰結します。筑前(宇美)から豊前(小倉)、そして長門(山口)へと至る交通の要衝に、到津(上陸地)や近見(視認地)といった地名を配置し、篠崎八幡神社の「力石」という物質的証拠を伴わせることで、「神功皇后の移動ルート」という神聖な物語が、北九州の現実の地形の上に空間的かつ立体的に構築されているのが、現在確認できる最大の事実です。
お祓い事で度々祈願させて貰ってる篠崎八幡宮。いつも綺麗に清掃されていて参拝に訪れる度、心も整う気がする。
高台にあって景色が良い神社です。節分の時期に参拝に行っています。
格式の高さを感じさせる神社です。初詣ではじめて参拝しましたがどんど焼き、節分祭の豆まき、夏越祭の茅の輪くぐり、神楽の舞もある秋季例大祭などさまざまな季節の祭事が賑やかに催されているようです。あらためて訪れてみたいと思いました。
#平日木曜9:00篠崎八幡神社⛩️#小倉駅からタクシー🚕で15分#駐車場🅿️平面無料10台以上と便利#バイパス道路が交差する混雑エリア#そばに川(紫川)あり#篠崎北インターチェンジそば#平日木曜朝9:30到着#平地から天空に向かう石段と赤灯籠🧡#お参詣者は数名、ネコも参詣?#御朱印は3種あり、八幡さま選択#御朱印帳を初購入🎵#心洗われるひとときでした(^ ^)
随神門スタンプがカッコいい御朱印をお書き入れ戴きました。拝殿右手の蛇の枕石の御朱印も併せてお書き入れ戴きました。(加茂宮様も頒布されてます)立派な随神門美しい!!篠崎橋バス停から徒歩る。急階段が苦手な方は駐車場🅿️側からどぞ。
ここは篠崎八幡宮とも言われている大きな神社ですこの神社の主祭神は応神天皇(第15代天皇)、神功皇后(仲功天皇の皇后)、仲哀天皇(第14代天皇)でその他境内には八雲社もあるので厄除け、縁結び、交通安全や安産祈願、合格祈願などいろいろあるのでお参りする方が多いようです駐車場も割と多くの車が停められるよう整備されています今日はちょうど赤ちゃんのお宮参りに来ているご家族がおられました。
2025年6月高台にあるこちらの神社は下から見ても大きな看板があり目立ちます。車で行く時は裏から回って、鳥居を潜って入りますが第二駐車場が下にあり、第一駐車場が上にあります。第一駐車場で降りるとここに上がって来る階段がありますが大変そうです。大きな門があり、境内の中には本殿な他いくつもの末社があり、力石、蛇の枕石などもあります。
2025.4.12 奉拝「ぎょらん亭本店」で食事を済ませたら、次は土地の神社に参拝。これは私の旅の流儀なので、これまた有無を言わさず会社の後輩にも付き合ってもらいます。やってきたのが「篠崎八幡神社」です。日本で一番多いのが八幡神社ですけども、八幡(やはた)という地名の由来も八幡神社からといことで、参拝するならとここにしたのですが、もう一つ理由があります。それは比較的に新しいけど、立派な随神門があって、そこにかかっている扁額を見たかったから。扁額には「玄監」=身を整えよ!って意味の言葉があります。実際に見るとやはり、引き締まる思いになります。これは参拝して気づいたのですが、よーく見ると鳥居門が三ツ鳥居に見えます。三ツ鳥居って珍しい鳥居で、実際にみたのは大阪の「坐摩神社」以来で、興奮してしまいました。では、御祭神は八幡神社なので~もちろん応神天皇。神宮皇后=応神天皇の母。仲哀天皇=応神天皇の父。宗像三女神。略してはいけませんね。多紀理比賣命(たきりひめのみこと)、市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比賣命(たきつひめのみこと)。玉依毘売命=神武天皇の母。以上の5柱いや7柱になるんでしょうかね。参拝を終え、御朱印をいただき、いつものよーに記念撮影。御朱印にも「玄監」の文字。最後も身を整えて、境内をあとにしました。
| 名前 |
篠崎八幡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
093-561-6518 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
〒803-0861 福岡県北九州市小倉北区篠崎1丁目7−1 八幡神社 内 |
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福岡県北九州市小倉北区篠崎に鎮座する篠崎八幡神社の直書き御朱印を頂きに参拝しました!仲哀天皇の御代9年に三韓征伐より戻った神功皇后は、筑前国宇美にて皇子(後の応神天皇)を出産。翌年、穴門(長門)に向けて出発した途上、鷹尾(高尾)山の頂上の大石の上に皇子はお立ちになり、長浜から文字ケ関(門司)のほうを望み「穴門は近し」と仰せられた。後の敏達天皇の御代12年になると、勅命により上記故事から鷹尾(高尾)山の麓の朝倉谷(現在地より西へ1キロほどの辺り)に、葛城小藤丸に奉祭させて神功皇后、応神天皇、仲哀天皇を祀る社を作らせた…これが篠崎八幡神社の御由緒となっています。しかしその後、平将門の乱とほぼ同時期に起きた、瀬戸内海を中心とした藤原純友の乱(承平天慶の乱)により焼失。さらに後の戦国時代には大友宗麟の兵火により再び焼失して衰微してしまう。江戸時代に入ると、細川氏や小笠原氏から篤く尊崇され小倉藩の大社として栄え現在に至ります。この篠崎八幡神社には3つの古墳があり、篠崎古墳群と呼ばれています。そこから考えるに、多分応神天皇の故事以前より、小倉の街を見下ろせる(当時は海ももっと内陸まで入り込んでいた)現在地には、何らかの祭祀(葬礼)を行う場があったはずで、それが応神天皇の故事と結び付き、八幡神社創建と相成った…と考える方が自然な気がします。最寄り駅はJR九州・日豊本線の南小倉駅で徒歩10分ほど…なんですが、神社自体が丘陵の先端部にあるので、歩きだと境内には結構長い階段を登らないとなりません。車用に坂道もありますが、足腰に不安がある方はご注意を。直書きの御朱印は、境内社の雲龍殿賀茂宮と、北九州の民話にも語られる拝殿右手に置かれた「蛇の枕石」があります。御朱印自体は拝殿向かって左後ろの授与所の片隅に御朱印・御祈祷受付があり、そこでお願いすることとなります。因みに祝日は窓口が同じ御祈祷依頼の方も多くいるため、タイミングによっては少し待ちます。