歴史を感じる伊作城跡。
伊作城(亀丸城)城址の特徴
南北朝時代に築かれた荘厳な伊作城の亀丸城跡は歴史の宝庫です。
駐車場が整備されて便利ながら、アクセス道は少々荒れているのが特徴です。
多くの城趾を巡ることができ、歴史好きにはたまらないスポットです。
伊作城は典型的な南九州型(群郭式)城郭でシラス台地を加工して築かれている。城址のすぐ近くに無料駐車場が完備しており、見学はしやすい。県内でも知覧城や志布志城と並ぶ山城である。伊作城の城域は広大であるが、見学可能なのはそのうち本丸である亀丸城の他、山之城、御仮屋城、蔵之城の各郭である。それ以外の郭はおそらく未整備だと思われる。伊作城の各郭間の空堀は圧倒的である。その高さ、切岸の角度の迫力が凄い。特に城址中心部から少し離れた位置にある空堀2は必見である。本丸である亀丸城には城址碑の他島津氏係累の誕生石や碑文が立っている。伊作城は南北朝時代に島津氏分家伊作島津氏によって築かれた。その後、拡充が進み広大な城域を持つに至る。伊作島津氏は戦国時代に忠良、貴久の代に島津氏宗家を継ぐことになる。鹿児島城に島津本城を移された後も伊作城は伊作島津氏の原点として維持されていた。
吹上温泉から鹿児島市内に戻る途中で見つけた歴史遺跡ですが、ほとんどの人は気付かずに通り過ぎているようです。全国でも最大級の中世山城跡で、戦国時代に活躍した島津四兄弟が生まれた場所でもあります。駐車場に車を停め、地元日置市によってよく整備された散策路を歩めば、山の頂上を平らにした「曲輪」に簡単にたどり着けます。曲輪の下には、人為的に造られた防御用の「空堀」が広がっています。曲輪に立てば、まさに「兵ものどもが夢の跡」であり、今は草に覆われ、大木が散在していますが、往時の質素堅実な建物や人々の賑やかな様子を想像することができます。またロープを辿りながら、空堀の底まで、10分程度で往復をすることもできます。願わくば、日置市にも、他の自治体がやっているように、バーチャルリアリティ(VR)を活用した、往時を想像しやすい器具を現場に整えて欲しいと思います。最後に、ここは温泉帰りに寄るよりも、本遺跡を散策後に温泉に入ることをお薦めします。
伊作城(いざく)伊作城は伊作島津氏の本拠地。南北朝期島津本家4四代忠宗の弟・久長が伊作荘を得て島津伊作家の始祖となり伊作城を築いたといわれ、戦国期の伊作島津家十代当主忠良(日新公)、忠良の子・貴久、貴久の子・4兄弟(義久、義弘、歳久、家久)が生まれたといわれる。亀丸城は伊作城の複数城あるうちの本丸で、長辺70m、南北60mの台形状の平坦地で四辺とも崖となっている。西側に日新公の誕生地など4種類の石碑、土塁がある。南側に無料駐車場があります。5年前(2020年)に登城しました、鹿児島で行きたかった城の一つです。案内板も充実してます。
伊作城は吹上中原にあった伊作島津家の城です。ここで島津三兄弟が生まれました。島津義久、島津義弘、島津歳久です。島津家久は腹違いの四男。ここが本丸です。駐車場にはトイレもあります。何故、ここが200名城に選ばれなかったのか疑問です。答えはきっと周りにこれといった観光地が乏しいせいなのか?武家屋敷群も近くに見当たりません。廃屋になった武家門の武家屋敷はありましたが。南九州特有のシラス大地に築かれた伊作城は知覧城に作りが似てます。島津家の始祖は源頼朝の落胤説、今ならDNA鑑定も出来ますが、丹後局さんは凄い美人で源頼朝の寵愛を受けていた説もまたありなん。島津家の家系図は源頼朝を元に作られていますから。落胤が源頼朝に似ていたんでしょうか?
城跡の中にも舗装道路が続き、山之城の北側に駐車場が有ります。保存会の方が遊歩道を整備されていて廻りやすくなっています。山之城は切り立ったシラスの曲輪というよりは、いわゆる山城の感じでした。堀切、虎口があり、適当な切り岸に取り付いて鉄塔の有る頂上部に至りました。頂上からは段々の曲輪を降っていき、舗装道路に出ます。駐車場のほうに戻り、東ノ城、蔵ノ城、本丸へ向かうと、切り立ったシラスの曲輪が並んでいました。伊作島津家の本拠で、本丸(亀丸城)には義久公四兄弟の祖父の日新公(忠良公)の石碑や、四兄弟のお誕生石が並んでいました。城跡内の道路は空堀を埋めたそうで曲輪との高低差は小さくなっています。昔ながらの空堀の深さを体験しようと看板があり、本丸と御仮屋城の間に降りて断崖のシラスの切り岸を体験できます。切り立ったシラスの曲輪に、山城の標高差が加わると厄介な事この上無いと感じました。
沢山の城趾があり駐車場はあるのはよいのですが、歩いて行く道が結構あれます!サバイバル感はありますが、島津家発祥地とは勉強に成りました!
南北朝時代に築かれた伊作城の本丸の亀丸城跡。(南九州だけかは不明ですが、〜丸のことを、〜城といいます)島津中興の祖 日新公、島津四兄弟生誕の地として、江戸時代には聖地とされていたそうです。現在は、御誕生石が置かれています。本丸跡地の当時の面影としては、50〜60センチの土塁程度ですが、周りの曲輪、土濠、空堀などをみるとかなりの規模だったことが伺えます。
| 名前 |
伊作城(亀丸城)城址 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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☆一度行ってみたかった島津家の聖地「伊作城」伊作島津家250年の居城、縄張は南九州特有のそれぞれが独立した曲輪「群郭式」深い空堀が一つ一つ曲輪を囲んでます、亀丸城=伊作城本丸、最終的に島津本宗家となった伊作島津家流⚔️・島津忠良の実父/島津善久・島津中興の祖/島津忠良(日新公)・島津四兄弟(島津の英主/島津貴久の子供達)島津義久・島津義弘・島津歳久・島津家久の誕生地‼️1536年(天文5年)に「一宇治城」へ居城を移すまでの薩摩島津藩の原点となる城郭。広めの無料駐車場もあり、通りから亀丸城趾には登りやすいです、亀丸城趾の一番奥に日新公や島津四兄弟の誕生石が並んでました、チョット珍しい、城郭内で初めて見ました😯登城路途中から蔵之城趾へも行けますが、現在は立入禁止に成ってました⚠️