永吉島津家の歴史を体感。
慈門山 天昌寺跡の特徴
初代家久の墓がある梅天寺跡からも近い、歴史深い場所です。
永吉島津家の菩提寺として整備された天昌寺跡にアクセスできます。
戦国時代に活躍した島津豊久公の墓もあり、歴史を感じられます。
島津家久公を祖とする永吉島津家菩提寺豊久公のお墓もあります。分家とはいえ、島津家の墓所だけありとても立派なお墓が並んでおり圧巻です。地域の方々が管理しているのか、雑草も生えておらずとても見学しやすかったです。家久公、豊久公ファンは必見の場所だと思います。
🍀天昌寺跡 永吉島津家歴代の菩提寺 島津豊久公 関ヶ原合戦 島原半島 戸次川の戦い 沖田畷の戦いなどで活躍。🍀
きれいに整備されていましたよ。
闘将!島津歳久公の菩提寺です❗
かめまる館から長閑な畑を見ながら自転車で約10分。
永吉島津家は島津家15代島津貴久の四男・島津家久を始祖とする。家久は「島津四兄弟」の末子として、島津氏の覇権に関与する。日向の佐土原城主となっていた。嫡子である島津豊久が家督を継承したが、関ヶ原の戦いに西軍として参加、敗戦後に撤退する際に、宗家の島津義弘を無事帰還させるために徳川方の家臣団との壮絶な戦い(「捨てがまり戦法」と呼ばれる)を行い、豊久以下の多くの兵士が戦死した。戦後処理において、島津宗家は改易を免れたものの、佐土原は没収、家臣は佐土原を追放され、永吉に移住した。新たに、永吉島津家が創立され、家久が初代、豊久が2代扱いとなった駐車場はありません。道路横に看板があるため分かりやすいと思います。
名前 |
慈門山 天昌寺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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薩摩訪問2日目、初代家久の墓がある梅天寺跡から巡ってきました。ここは2代豊久以下永吉島津家歴代当主の墓があります。車は天昌寺へ入る細道がある大通り付近が広くなっていて、そこに駐車しましたが、細道を入って行くと広い駐車スペースがありました。永吉島津家の歴代当主の墓は整然と並んでいて趣がありましたが、印象に残っているのは、その墓を取り囲んでいる溝に大きなカニが何匹も現れ、素早く動く姿でした。このカニがお墓を守っているのか…。さて、梅天寺跡の“クチコミ”でも触れましたが、家久が亡くなったのは、日向の佐土原城で、その後継の2代豊久は佐土原城から関ヶ原へ出陣し、義弘を助け討死しました。関ケ原戦の結果、佐土原の地は徳川家に召し上げられ、豊久の弟忠直初め一族は家久所縁(家久が初めて封土を賜った地)の永吉へ移封となり、永吉島津家が創設されたわけです。当然3代当主は豊久弟の忠直が就く筈ですが、忠直が病弱なため、喜入忠続の嫡男忠栄が3代として跡を継いだようです。因みに、2代豊久(法号は天岑昌運)の墓は、日向佐土原の天昌寺跡にも、家久と並んであります。