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名前 |
甑島 念佛發祥之地 碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
江戸時代の薩摩藩において、浄土真宗(一向宗)の信仰は禁止されていました。しかし「隠れ念仏」と言われる潜伏信者は存在していたのです。彼らは密かに持ち込ませたご本尊(阿弥陀如来像)を祀り、ここで宗教儀式を行っていたということです。藺落展望所遊歩道を延々登ってゆくと、この“念仏発祥の地”の碑があります。ふもとの集落からは結構離れており背後は崖。秘密裏に儀式を行うには恰好の場所だったのでしょう。親鸞を開祖とする宗派を浄土真宗と呼称しますが、戦国期以降は専ら一向宗と呼ばれていました。戦国時代には一向宗を中核とする一揆が頻発します。加賀一向一揆においては守護の富樫政親が討たれ、一向一揆による統治が行われるに至ります。戦国大名にとって一向宗(衆)とは脅威の存在だったわけです。しかし、一向宗を禁止したのは全国でも人吉(相良氏)と薩摩(島津氏)の2藩だけでした。人吉藩は1555年に、薩摩藩は1597年に一向宗禁止令を出します。そして、その解禁は約300年後の1876年でした。では、なぜこの2藩のみが禁止に踏み切ったのでしょうか?実はその理由はよくわかっていないのです。ところで、1965年に**市教育委員会が「エレキ(ギター)禁止令」を出しました。こちらの理由は明確です。「エレキ(ギター)は若者の不良化を促す」というのです。そしてこの条例は全国に飛び火し「1966年6月30日、7月1.2日のライブ」排斥運動にまで広がりました。おお、なんという事でしょう…………..!