部崎灯台と清虚の像、素晴らしい眺め!
僧清虚像の特徴
駐車場から近くまで行ける便利なアクセスです。
部崎灯台の下に建つ清虚の巨大な白い像に驚きます。
ドライブ旅行に最適な、素晴らしい眺めを楽しめます。
初めて訪れました。清虚像のそばまで行けますが、像は海の方を向いているのでお顔は拝めませんでした。航海の安全を見守っているのでしょうか、一般人には関係ないなさそうです。
陸からは正面を見られません😭今も海運や漁業を見守っています🙏
部崎灯台の袂に建立された僧 清虚の像。高野山への修行のために大分県国見町から船に乗って来ましたが、早鞆の瀬戸(関門海峡)で海難事故が多い事を憂い、下船して自ら火を焚き航海安全に努めました。その功績を讃え、その偉業を後世に残すため、昭和48年(1973年)に地元の有志によって建立され、航海の安全を見守っています。高台の灯台下の岩場には、火焚場跡が復元されています。
駐車場の前の階段を降りて近くまで行くことができます。道路からだと背中しか見えません。
大分の僧侶『清虚』はこの地先の海域で、遭難や事故が多いので、今でいう灯台の役目を果たした灯火をされ、海運航行の無事を案じられた立派な方です😃訪れた日は、天気☀も良く、素晴らしい眺めで、きっと清虚様のおかげだと思います😊
ドライブしてびっくりしましたが、行き止まり。顔見たかった!引き潮で下まで行ったが、顔がみえず。ありがたい方です行ってみてください。灯台もあります。後日また行きました。顔が見えた🥸
ドライブしてびっくりしましたが、行き止まり。顔見たかった!引き潮で下まで行ったが、顔がみえず。ありがたい方です行ってみてください。灯台もあります。後日また行きました。顔が見えた🥸
海沿いを車で走ってると、いきなり出てきてびっくりします。どんなお顔か拝見したかった〜
門司の突端に江戸時代の僧、清虚の像が部崎(へさき)灯台の下に建っています。この地は昔から狐碕、念仏碕と呼ばれた暗礁の多い航海の難所でした。清虚(大分県国見町出身)は天保8年(1836年)、国見町竹田津港から下関経由で高野山に修道に向かう途中、この難所に気付き、下船し何とか多くの人名を救おうと火を焚き続ける事を決心しました。そこで清虚は日中托鉢で得た糧を焚料の買い入れに充て、1日1食の生活を続け、74歳でこの世を去る迄の13年間、雨の日も風の日も読経とともに火を焚き続けました。海難防止の為、火を焚き続けた清虚の偉業は没後、明治5年(1872年)に現在の灯台が出来るまで村人に受け継がれたとの事です。この話は猿喰新田を開拓した石原宗佑の話と共に、門司の郷土史として語り継がれています。私も確か中学時代に習った記憶があります。今も潮流が速い海の難所ですが、灯台のおかげで船は安全に行き来しています。
| 名前 |
僧清虚像 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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身の周りにこんな顔をした人がいるような気がする。そう思える巨大な僧侶の像。駐車スペースもあるので、歩いて海岸まで降りると、お顔を拝める。大分県国見町出身の僧 「清虚」は、高野山へ修行に向かう船中、門司の部埼周辺の海が暗礁が多く航海の難所となっていることを知り、「何とか多くの命を救おう」と、下船してこの地で船の道標となる火を、日中に托鉢で得た糧を焚料の買い入れにあて、一日一食の生活を続け、74歳で亡くなるまでの13年間、雨の日も風の日も、読経とともに火を焚き続けたそうです。その後、部埼灯台が建設されるまで、清虚の偉業は村人により引き継がれていたという逸話が残っている有難い方だそうです。